昨日の飲みの席でも話したのだが、この数日Instagramに投稿されたシマリスの動画をずっと眺めてしまう。ピーナッツや胡桃で頬袋をパンパンにする様子、普段は三頭身くらいの体を六頭身までぐーっと伸ばしてあくびをする姿、あくびの際に覗く牙の鋭さ、几帳面に顔を洗う手つき、細い指ととがった爪、何もかもが愛くるしい。小学生から高校生くらいのころを一緒に過ごしたシマのことを思い出す。こちらの手にじゃれついてきて、ぽーんと投げ飛ばしてやると嬉しそうにまた飛びかかってくる。昨晩一人で布団の中で眺めていたら、思わず声が出ていた。可愛いねえ、おいしいねえ、きれいになったねえ、不気味な酔っ払いである。またシマリスと暮らしたいな、という気持ちが強烈に湧いてくるが、死んでしまった時のことを考えたら耐えられる気がしない。想像しただけで泣けてきて、やはり不気味な酔っ払いであった。
手術の時間のあいだは念のため電話をとれるようにしておく。伝えられた時間は朝の一時間半で、通勤のタイミングと被るのだけど、それがよかった。僕は妙なところでひとつのことしかできなくなる。宅急便の荷物を待つ時間や、来るかどうかわからない連絡を待つ時間がそれで、「待つ」という行為のほかなにもできなくなってしまうのだ。たとえばトイレに行けなくなる。夢中になって呼び出しに気がつかないと困るから本も読めない。ただじっと待ってしまうのだ。今朝は僕が何もできなくても移動していればよいのだからまだましだった。電車の中ではずっとiPhoneを握りしめてぼんやりしていた。家にいたらなにもできず、スマホを前に静かに座っていただろう。事務所について一五分間、そのように木偶になった。そして待つ時間は終わった。連絡はない。ぶじに終わったということだろう。全身麻酔から覚めるのは術後二〇分前後とのことで、意識がしっかりしてくるのはもうすこしあとなのかもしれない。これはざっと検索して得た情報で、説明を受けた奥さん曰く連絡できるようになるのは昼過ぎだろうと言っていた。けっきょく午前中は奥さんからの連絡を心待ちにしてそわそわ過ごすことになりそうだったが、連絡が来た時に要請される対応の緊急性はだいぶやわらぐのと、ふつうに賃労働が忙しいこともあり、心ここにあらずな状態であっても、なにかしら手を動かし続けなくてはいけなかった。僕が全身麻酔を受けたのは高校生のころで、鼻の下あたりに埋まっていた親知らずを砕き取るための手術だった。いまから麻酔を入れますね、と声をかけられて、つまらない軽口を叩いたあと、ふっと意識が途絶して、気がついたらベッドにいた。映画とかでクロロホルムを嗅がされたり後頭部を殴られたりするとぶつっと画面がカットアウトして、次の場面にフェードインすると椅子に縛りつけられている自分に気がつく、みたいな描写があるが、全身麻酔の意識の切断と再開は、じっさいあのような感じだった。そのような記憶がある。たぶん人口呼吸器もつけていたのだと思う。体にだるさが残ったのか、吐き気などに見舞われたのか、すぐに寝直してしまったのか、ディティールはかなり曖昧だ。入院中は暇で、DVDプレイヤーを持ち込んでTSUTAYAで借りた映画を何本も観ていた。『シティ・オブ・ゴッド』を観て、すげえ面白いけど病院で観るもんじゃなかったな、と気分が悪くなったのを覚えている。それは手術の前だったか後だったか。ここまでの日記を書いているのは正午前のこと。まだ連絡は来ていない。ふと空いてしまった手を忙しくするために書き続けている。気晴らしのおしゃべりと同じこと。僕は書く方がまぎれる。心配事が多い日のほうが日記が充実するのはそうした理由からだろう。
十四時半ごろ連絡があって、ひと安心。作業も落ち着いて、へろへろとお昼を食べに出たところだった。カツ丼を食べる。するともう十六時とかで、労働を再開するとあっという間に十九時だった。連絡をもらってからの四時間は十月と同じくらいあっという間に過ぎて行った。ほら、安心するともう言葉は出てこない。病院では六時起きの九時消灯らしい。僕が夕飯を食べている間に、奥さんはもう寝る時間を迎える。ひとりだと退屈で、僕も眠たくなってきた。