2022.11.09

僕は揚げ足とりが嫌いだ。些末な言い間違いや勘違いをいちいち指摘するというのは、人の話よりも辞書が好きな人のすることであって、そんな人は話を聞いているふりなんかしないで一人で辞書を読んでいればいいのだ。それで誤植を見つけては大喜びで版元に投書するがいい。役に立つだろう。

本を読むときは、些末なところから思考が拡散していくことも多いが、これはむしろ本を素朴に読んでいるからこそであって、書いてあることにいちいち突っかかっていては読めるものも読めない。本はつねに僕よりも賢く大きなものだから、僕なんかのチンケな了見を挟む暇があったら、その了見を手放し本に書かれている理屈を内面化する努力をしたほうがいい。読んでいる間だけは書かれたことの方に主導権を譲るというのは読書の基本であり、そうでもしないと批評は成り立たない。相手の考えるように考えること。そのうえで、その考えの限界を内在的に示すこと。僕が好きな批評とはすくなくとも一度はそういった段階を踏んでいるもので、読む前から読み終えるまで自分のスタンスに固執するような読み方はつまらない。これは本に限ったことではなく、音楽も、演劇も、映画も、なんだってそうだろう。

作品を前に、僕のふだんづかいの考えなんてものはどうだっていいのだ。まずは僕が作品になるべきで、僕が僕として考えるのは、作品をあとにしたあと、僕に戻ってからでいい。まずは没入が要請される。提示されたものを丸呑みして、内面化することが求められている。作品を享受するというのは、だからこそ危険な営為なのだといえる。そして、我を忘れて没入するというのはよく訓練されないとできない知的営為なのだともいえる。

ふつうに暮らしていると、自分を他者に明け渡すなんて蛮行はありえない。作品を読み、聴き、観るためには、他者に向かって自分をまるごと放り出す練習が必要だ。強いて勉めて、作品という他者の考え方をトレスするようにして考えようとする。なんであれ作品を享受するというのは訓練や練習が必要で、生来のセンスなどというものは幻想であるどころか、そんなものを信じてただ感覚的に作品を評しているあいだは自分がスベっていることにも気がつかないで自身の偏見や狭量さを晒すだけに終わる。知的な享受というのは自分のふだんの生活の倫理や性向なんかよりも、作品に内在する論理の方を優先するということで、保坂和志はこれを「真に受ける」と書いた。

(…)批判は知的な行為ではない。批判はこちら側が一つか二つだけの限られた読み方の方法論や流儀を持っていれば簡単にできる。本当の知的行為というのは自分がすでに持っている読み方の流儀を捨てていくこと、新しく出合った小説を読むために自分をそっちに投げ出してゆくこと、だから考えることというのは批判をすることではなくて信じること。そこに書かれていることを真に受けることだ。 そんなことは誰も言っていないとしてもそうなのだ。非-当事者的な態度を投げ捨てれば、書かれていることを真に受けるしかない。言葉では「しかない」と、とても限定的な表現になるが、そこにこそ大海が広がっている。教養や知識としての通りいっぺんの小説なんかでない、生命の一環としての思考を拓く小説がそこに姿をあらわす。

保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社) p.10 強調原文傍点

作品は、当事者として真に受けるしかない。真に受けることからしか作品との関係は始まらない。作品に触れながら白けている人は、冷静なわけでも、独創的なわけでもない。知的に作品を享楽するための基礎力がないのだ。ひとまず真に受けてみるという訓練が不足している。自己意識を肥大化させるよりも、他者を自己よりも巨大なものとして畏れる態度を育むことこそが、よき読者、よき観客、よき聴衆となるための第一歩なのだと僕は信じている。

作品を前に自分の考えは不要だ。作品の考えにどれだけ迫れるかが重要なのだ。作品に熱狂する人というのは、作品を姑のように虚仮にする人よりもずっと知的だ。自分で考えた気になるというのは誰だってできるが、自分ではないもののように考えるためには経験や技術が必要になる。作品を素直に楽しめるというのはそれだけで思考の訓練の賜物だし、とても知的なことなのだ。何かを読んだり観たり聴いして素朴に、いいな、と憧れをもてる人はじつはとても稀有な技能を有しているのかもしれない。

ただ、ずっと熱狂しているのも危ない感じがするから、熱狂の記憶を留めておきつつ、事後的に作品から身を引き剥がすことも一緒に覚えていった方がよくて、こちらのほうが出来ている人は少ないかもしれない。作品の側に行くのも難しいのだが、戻ってくるのもまた難しいことで、そんな面倒な往復を続けていくのは、けっこう苛烈なことであるな、と最近よく考える。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。