なんだかつまらない気分が強い一日だった。
整地された場所があると、人はその場のルールを把握して、抜け道を探したり、味方につけたりすることで独創性を発揮することになる。求める結果を得るためには、その場のルールを内面化し、その場の仕様通りの自分へと変容していく必要がある。
一方で、そもそも場所がないところに場所を作るときは、ルールも方法論もどこにもないので「とりあえずやってみる」ことしかできないし、推進力は気合と根性としかいいようがない。つくられていく場所をどんな仕様にするのか、どんなルールで運用していくのかは、その場その場の間に合わせのような形で制作と格闘していると事後的に定まっていたりする。
そもそも仕様やルールとは人間が動き回ることで事後的にできてくるものであるということを経験的に知ってしまうと、方法論やフォーマットありきでしか行為を起こせないという感覚が遠くなっていく。「とりあえずやってみる」ができるかできないかは、世代や時代のギャップというわけではなく、とりあえずやってみるしかない状況を経たか経ていないかの違いでしかないような気がする。大半の人はできることなら道なき道を避けたいのではないだろうか。やってみないとわかんない、やってみるほかない、という状況に迫られてはじめて人はやってみるのではないだろうか。知らんけど。
いや、ここまで書いて思い直したけれど、これは経験の有無でもなく、単純に性格によるのかもしれない。ルールがあったほうが楽な人と、道なき道をガンガンいくほうが楽な人がいる。前者にとって「とにかくやってみる」ことが難しいことであり、後者にとってルールを把握してその範疇で工夫していくことが困難なことである。僕はもともとは決められた枠があった方が動きやすかったのが、やってみないとわからないことをやってみる必要に追われているうちに、生来のいい加減さが強くなって、やってみたほうが早いじゃんと考えるようになってきたのだと思うが、もしかしたら最初からやってみることでしかやれない性格だった気もして、日記は書き出してみないとなんもわからない。今も何の話してるんだかわからなくなってきた。仕事しているあいだになんだかつまらないことがあって愚痴愚痴と書きたかったのだと思うが、書いているうちに書いていることが楽しくなってぜんぶ忘れてしまったな。なにしろ夕食がカツレツで、赤玉ポートワインを飲んでしまったから。炭酸でけっこう薄めたのだけど、薄めたらがぶがぶ飲めちゃって、すっかりできあがっているってわえ。ほら、もうkもまともに打てない。じゃあ、また明日ね。