2022.11.13

きょうの気圧予報をみてもうダメな日だと決めつけていたからこそ昨日は明るいうちから飲んだくれた訳だが、案外早起きできてしまうし、酒もそんなに残っていない。午前のうちに映画『ゆるキャン△』を再見。今度は奥さんと一緒に見た。ひとりぼっちでスクリーンと向かい合うときとはやはりちがって、名古屋の景色に過剰に反応したりもせず、わりあい冷静に優しい作品として楽しむことができた。もしかしたら映画館で観ていたらあんなに毎シーン毎シーンえずくみたいな鑑賞体験にはならなかったかもしれない。初日の出と同じで、それぞれの場所で見ている、でもここにはひとりだ、というような感覚で観たからこそ、ちょっとやばいところまで抉られたのだろう。そもそも『ゆるキャン△』という作品はつねに僕の心のやらかい場所をしめつけてくる。テレビ版二期の大晦日のエピソードが僕にとって白眉で、ちくわの死を想像するメッセージのやりとりにどれだけ揺さぶられたか。あるいは、なでしこが初めての一人キャンプを決意するシーンの見事さ。うきうきとキャンプ飯の工程を考えながら駅のホームまで駆け上がると、しん、とした寂しい景色が目の前に広がる。通過電車の遠ざかっていく様の心細さたるや! 『ゆるキャン△』はつねに、友達の大切さ以上に個人が孤独なままでいることを祝福している。だから、誰かと見る『ゆるキャン△』とひとりで見る『ゆるキャン△』はまったく別のものなのだ。一回目の僕はソロキャンだったが、二回目は奥さんとの野外活動だった。だから寂しくなかったし、楽しかった。寂しさは終わった後にやってくるものなのだ。

お昼を食べて、録音。iPadで映画『ゆるキャン△』を音無しで再生しながら、あのシーンが、ここのリンちゃんが、などと話して、僕が初見のときなんであんなにもずっと泣いていたのかを分析して説明を試みていると、うっかり涙が込み上げてきて、声が詰まってしまった。僕はどうしてもこの作品を強い主観で読んでしまう。心のいちばん奥で空回りし続けるものがある。スガシカオってやっぱすごくない?

夕方までは校正の戻しなどを集中してやってしまう。やることやると気持ちがいい。

夜は粉物パーティーで、もんじゃ焼きとお好み焼きを作る。ふわふわのお好み焼きの作り方を奥さんが調べてくれて、僕はキャベツが重要なんだ、昔読んだ漫画に書いてあった、と調べてみるとそれは『王様の耳はオコノミミ』という漫画で、ガンガンで連載されていた。当時ハガレン読みたさに購読していたからそれで読んだのだろう。読み切りだと思っていたがまさかの連載で、お好み焼きの話だけで9巻まで続いたらしい。気になる。読んでみたい。お好み焼きだけでどうやってそんなに……

キャベツをたっぷりいれて、長芋をすりおろしたお好み焼きはたしかにふわふわで、でもなんとなく店の味と違う。一枚目は卵を入れ忘れていたのだ。卵を入れた二枚目以降は卵の甘やかさがキャベツやソースの甘味の角をとるように調和して、たいへん美味しかった。出汁、卵、豚肉、ソース──お好み焼きというのはじつに複雑な味の組み立てがなされていて、もんじゃのように味の階層が一個しかないような食べ物と一緒にしちゃいけないよなあ、ということをじっさいに自分たちで作ってみるとわかるもので──ほとんど奥さんが作ってくれたのだけど──思う。もんじゃも、ちゃんと土手を作って薄く薄く生地を伸ばしていったほうがたしかに綺麗に焼けはして、なにごとも工程には意図があるものだな、と面白い。たらふく食べて、満足。なんだかきょうも楽しい一日だったな。休日が楽しいと、仕事なんかもう一生したくないとめそめそした気持ちになる。熱とか出したい、と思い、のびのびになっていたワクチン四回目の予約をした。ずいぶん先の日取りになってしまって、もうすこしはやめに取り掛かればよかった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。