2022.11.15

闡明、旗幟、夙に、条り、通暁。『何かが空を飛んでいる』を読んでいて、いつか使いたいなと思った語彙。どうにか日記に入れ込めないかと思ったが、闡明にできるような道理も、示すべき旗幟も、夙に主張してきた説も、通暁しているジャンルもなく、くだりはなにかを引用したときに使える気もするが、たぶん条にわざわざ「り」をつけるのは正規の使用法ではなさそうで、そういう一発では変換できないような外し方を繰り出すのはけっこう勇気がいるもので、つまりはおそらく使いどころはなさそうだった。日記というのは日常の記述であるから、放っておくと普段使いの語彙で事足りてしまう気がするが、できれば積極的に使い慣れない言葉を駆使してみたいものだ。本を読んで読み方がよくわからないものがあったらちゃんと調べて、なるべく早めに使ってみるということをやっていきたい気分のようだった。

朝起きたら通知があって、山本さんのポッドキャストの配信が始まったらしい。最初の告知ツイートの時間から推察するに配信開始が午前2時とかだ。土曜の昼までに録り終えて、編集などを経て月曜深夜には配信される、その時間感覚にラジオはすごいなあ、と思う。ポッドキャストの正式名称は「文化系トークラジオLifeの番外編ポッドキャスト『山本ぽてとのポトフ』」といい、はたからみたらこれは立派に文化系トークラジオLifeなのだろうな、と思う。高校時代も聴いていた気がするけれど、名古屋でも聴けたっけ、もしかしたらポッドキャストだったか、大学生になってからかもしれない。とにかく文化系トークラジオLifeは僕も聴いていて、それこそ千葉雅也や國分功一郎を知ったのはLife 経由だったんじゃないだろうか。JUNK や夜電波に育てられた身としては、TBSラジオの周縁に関われたことはすごく嬉しいかも、とじわじわ実感が湧いてくる。いつかほんもののAM954kHz に出たいものだな、と欲深くもなった。本を出してもらったら「二冊目はどんなのかな」と考えたし、文芸誌に載った時も「よっしゃ次は連載やな」みたいな調子の乗り方をしたが、じっさいはそれ以上の進展はなく、あ、こんなものだよな、と納得したものだ。こうやって過剰な期待とちょっとした落胆を繰り返し続けるのだろうな、と思う。ZINEであれば自分がその気になれば出し続けられるが、発注ありきのものは発注がないかぎりどうにもならない。発注してもらえる嬉しさを知ってしまうと、自分だけの動機でなにかを作ったりすることが億劫になる部分もあるが、自分で好き勝手に作っているほうが楽しいのも確かで、頼まれてもいないのに好き勝手に作るという状態を忘れないでいたいな、と思う。最近またポイエティークRADIO の録音が楽しくて嬉しい。僕もいい感じに楽しそうに喋ってる感じがある。そのせいかわからないけれど再生回数は低迷していて笑える。収益化したいわけでもなく、誰も聴いてくれなくても毎週続ける気はしている。このスタンスで千回とかまで続いたら静かな狂気が醸し出されていい感じだな、と妄想する。先はまだまだ長い。

それはともかく配信されたものを聴いて、面白い話がたくさん聴けたなあ、すっごく楽しかったなあ、と嬉しくなる。編集の自然さも流石で、ぼーっと聞いていたらどこで何が切られているのかわからなかった。こうやって新しい人に会っておしゃべりするというのはいいな、どんどんやっていきたいな、という気持ちがまた湧いてくる。これはいつも思っていることではある。僕は出不精なくせに、人と話していたほうが調子がいいところもあり、自分をどうやって外に出してあげるかが肝心なのだ。

昼に入ったラーメン屋で、バイトが店長とおしゃべりしていて、あたし三千円のお皿でご飯食べたことなんかないすよ、と応えていた。その当然のような口ぶりに、ここはなんと貧しい国なのだろうか、と思う。三千円のお皿が想像の埒外にある生活を当然のものと思いたくない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。