『我は、おばさん』もとてもいい本だった。おばさんになれない僕も、お節介な先輩として打算のないお裾分けを乱打していきたい、後進が要らぬ苦労をせずに済むように世の理不尽をひとつでも葬っておきたい、というような、成熟への意志を贈ってもらえたように感じた。
古い組織にいると、そもそも後進のために露払いしたとして、まだこの道って誰か使うのかしら? という徒労感があったりする。社会の高齢化のなにが問題かって、いまの三〇代くらいが「いつまで経っても若いもの扱いされる」というのがあると思う。二〇代で「まだまだ若いんだから」と言われるのはまだよかったけれど、三〇過ぎても変わらず言われて、これ、このままずっと繰り越されていくのでは、と思うとぞっとする。
どこかで与えられる側から与える側へのシフトが必要で、それを成熟と呼びならわしてきたのだと思うけれど、硬直化した組織の中では上の世代が量で圧倒してきて、いつまでも与えられる側に甘んじられてしまう状況がある。こわい。
下の世代へのお節介な親切心が人を成熟させるのだと思うのだけど、いまの僕は高校時代の部活の先輩や、大学時代の怖いOBほども大人になれていない気がする。とっくに当時のあの人たちの年齢を越しているのに。僕自身がかつて誰かの「先輩」であったときですら、おそらく今以上に大人びていただろうと思う。若手はもういい。後進のための地味で泥臭い舗装作業に取りかかりたいのだが、そんな日は来るのだろうか。
岡田育が「おばさん」に託したようなよき先達像を、「おじさん」なりに引き受けたいと思ったとき、さて、どこから手をつけるべきか、と途方に暮れそうになる。けれども、途方に暮れるところからしか始めることもできない。
ワクチン四回目、はじめてのモデルナ。これまでビビり散らかしたくせに副反応そこまでなかったので、今回こそはたいへんだぞ、とすこしワクワクしてる。熱出して諦めて寝続けてたい。夕方に打って、そわそわと雑務を片付け、シャワーも浴びたし夕飯も歯磨きも済ませた。さあ、いつでも熱を出せるぞ!
そう思って楽しみに待っているが、腕の痛さすらない。なんだ、今回もか。つまらない。原稿などの楽しい用事すらこなせてしまった。仕方がないから『マルコヴィッチの穴』を観る。小学生のころ母と観て、なんだか下品なこと以外さっぱりわからなかったが、生々しいセックス描写はわからないなりに気まずかった思い出。大人になってから観ると、やはり下衆な話ではあった。
