2022.12.26

広告がいちばん上に表示されるようになっていたり、どれだけの人目に触れたかが告知されたり、なんとなく脚が遠のいているあいだにTwitter がますますみっともない場所になっていて、毎日の日記を抜粋して投稿するのすらやめようかと考えている。そもそも多くの人に読んでもらいたくてインターネット上に置いているのでも、本の形にしているのでもなくて、日記はただの日記で、けれども文字は家のようなものだから風を通さないとすぐに駄目になると思うから外に出しているのであって、すこしの人が見つける可能性さえゼロにならなければ導線は乏しくてもいいような気もする。

インターネットで流行る文章や、SNS で耳目を引く本の言葉に触れると、だいたい孤立を感じる。言葉へのスタンスの違いを感じるというか、僕は情報伝達として言葉を使う態度に嫌悪とまではいかないけれど強めの疑念を覚える。いや、これはやはり正確ではない。

言葉は情報伝達の道具ではあるのだが、情報そのものではない。言葉は伝えたい情報をなるべく過不足なくわかりやすく伝えるために透明に近づけば近づくほどいい。この考え方が僕には疑わしい。

伝えたいことなどどうでもよく、言葉には表面しかない。その表面のテクスチャーに耽溺し、撹乱され、内容などという怪しげなものからは距離をとる。そういうふうに言葉の不透明さを突き詰めていくほうがしっくりくる。

動員を貨幣と同一視するような場所での言葉はどうしても二の次になる。レシピや取扱説明書のように解釈の幅を限定するようなもの、高架下の落書きのように余白しかないもの、そういうものばかりが「読みやすい」だの「端正な」だのと持ち上げられる。もちろんそれはそれですごい技術だけれど、もっと野蛮に触覚をざわめかせるようなものを読みたいと思ったとき、野趣を趣向として成立させるための工夫や知恵がずいぶん減退しているように感じられてならない。

今日もとても冷えた。布団から出ずにぬくぬくと仕事をしていた。何も解決しないまま年を越しそうだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。