2023.02.14

『現代経済学の直観的方法』を読み始める。まえがきでわくわくさせられる本はいい本なので、たぶんこれはとても面白い。

本書は、主として次のような読者のために書かれた本である。例えば一般の読書人の中には、歴史や哲学・国際問題に関してはかなりの読書量を誇っているのに、なぜか経済に関しては見るのもうんざりで、結果的にそこだけがぽっかり教養の空白になってしまっている人が少なくない。 また理系の中にもそういう人は非常に多く、中にはむしろそれに無知であることが科学者としての純粋さだと信じる人もあるほどで、どういうわけか世の中にはそのように経済の匂いや雰囲気に拒絶反応を示す、一種の生まれながらの「教養の高い非経済人」というべき人々が数多く存在しているのである。

しかし最近ではこれらの人々でもそんなことを言っていられなくなっている。例えば環境問題なども、経済に無知では意味のある議論などできるはずもない。また技術系の職場にいても経済を理解する必要に迫られることは多く、その圧力は日に日に増大する傾向にある。

そういう場合こうした人々は、これ一冊読めばとにかく経済なるものに関して大まかな粗筋だけはわかる手頃な本、というものを探し回るのだが、ところがそれがなかなか存在しない。経済の入門書のコーナーを覗くと「株で儲ける法」だの「為替取引入門」だの、およそ要求とかけ離れた本ばかりが並んでおり、思わず早足でそそくさと立ち去ってしまうのである。

やむを得ず正面から行くしかないということで、本格的な教科書に取り組むことにして読み始めると、今度は金利がどうのという話がいきなり始まってその鬱陶しさに耐えられず、2〜3ページで放りだしてしまうことになる。

長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』(講談社) p.1-2

つまりこれは僕のような人のための本だな、と思わせるようなまえがきは、特にこのような教科書には必須で、あらゆる教材はまえがきで決まると言ってよい。教えるというのは、学ぼうとする相手がどのような視点に立って、どのように進みあぐねているかを把握できさえすれば、もうほとんどすべて終わったようなものだからだ。あらゆるコミュニケーションは「教える-学ぶ」という非対称な構造をもつと柄谷行人は指摘したらしいが、他人と関わり合うというのはお互いの異なる立脚点や、ズレている語彙の内実をどうにか擦り合わせていくのだからこれは至言である。コミュニケーションの不全は「別のものを見ている」という断絶が引き起こすのではない。「同じものを見ている」と錯覚し、断絶を見過ごすから生じるのだ。相手の立っている場所が自分とは異なるということを見過ごさなければ、教えることも、学ぶこともできる。

じっさい三分の一くらい読んで、たいへん面白い。『〈世界史〉の哲学』と併読しているからよりいっそう資本主義というものの成立過程や内在する論理への見通しが展かれていくようだ。これを書いた長沼伸一郎という人は物理学者らしいが、研究機関に所属しておらず、世界史の本なんかも書いているらしく、どうやって生計を立てて、どのように暮らしているんだかまったく想像のつかない。

僕は大学は法学部を選んだが、その大学は政治経済学部がいちばん偉かった。落ちたのでどうせ行けないのだが、当時は政治も経済も不潔なものだと思っていたので、なんでそんなものがいちばん偉いのかわからなかったが、いまから大学に入るなら政治経済学部がいいな、と思う。ただこれは僕が政治や経済と無縁であるような幻想をもてなくなったからでしかなくて、当時の選択としてはやはり政治も経済も面白くなかったろう。自分で生計を立てるという労苦を強いられて数年経ってから、もういちど学び直すような道程のほうがおそらく人はまじめに学ぶのではないだろうか。

昨晩からいいアイデアが浮かんで、日記本の装丁デザインをほぼほぼ完成させた。みっつめの試作でようやく決まりそう。最初の二つがいまいちで、作る気力さえ萎えかけていたが、いちど寝かしておいたらカチッとはまって、いまは作るのが楽しみ。最初に思いついたコンセプトをあっさりうっちゃることでうまくいった感じがあって、制作の過程は積み重ねること以上に、いかに上手に捨てられるかが肝心だよなあ、と思う。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。