2023.02.15

SNS で個人で発言できたり、格安印刷で本を作って出せたり、スマホ一台でポッドキャスト配信できたりすると、声を出すのは簡単になったけど、その声が誰かに届くかどうかはまた別の話なのだというのがよくわかる。

基本的に他人の話なんか誰も聞いちゃくれない。

他人の作品や発言の批判はわりあい簡単に耳目も集めるし、それっぽい体裁も整えやすいし、なにより大義への貢献を感じられるから、誘惑も中毒性もすごい。だからこそ距離をとるのが難しい。

くさすのは飲みの席とかでいい。わざわざ言うことでもないことは、酒で洗い流してそれっきりでいい。悪口は言いっぱなしで誰にも真剣に受け取られず忘れられるから楽しいのだ。そう思っているのでわざわざ大きな声で文句をつけることはそんなにしないのだが、褒めるのはまた別の理由で躊躇われる。面白く他人を褒めるというのはたいへん難しいことであり、手間がかかるので面倒臭い。そのわりに「どうせ自分に近しい界隈や思想の人を贔屓してるんでしょ」みたいな目に晒されて、じっさい作者との面識の有無に関わらず、いいと思うものに親近性がないことのほうが少ないのでなかなか弁明もしづらい。それに自分の相手されなさ由来のやっかみで、他人のことを褒めるのを躊躇ってしまうというのもある。まったく自分のケチ臭さが嫌になる。なるべく気前よくいいものを褒めたいものだ。大きな声が出せる場所ではなるべくいいものをちゃんと評価するというふうにいたいし、これはどれだけ喝采されていても自分にとって面白くなかったら面白いとは言わないでおくということでもあるのだが、そういうものについてはなるべく上品に黙っていたい。

ここまでは他人の制作に対する話で、ふだんの僕はぶーたれ続けている。事務所に一人でも所作ががさつで、頻繁に電話をかけ、そのたびにわざわざマスクを顎まで下げて、慌ただしい空気を周囲に撒き散らすような人がいると、それだけでパフォーマンスがガタ落ちする。もとからオフィスでの執務というものが苦手だったが、在宅ができるようになってから他人の乱暴な所作への耐性がものすごくなくなっていて、ちょっとのことですぐ嫌になってしまう。

職場に限らず所作の趣味の合わない人というのはどこにでもいて、ドアを閉める音、足音、電車の位置どり、椅子の座り方など、どうも人と空間を共有していることをうまく意識できていない人というのに対し僕は簡単に冷淡になるくせに、僕自身が疲れていたり注意が散漫な時はドタドタと歩き、あちこちにぶつかりそうになっているからなんとも勝手なことでもある。なるべく静かに暮らしていきたい。どこもかしこもうるさすぎる。僕自身も含め。静かな、高原とか行きたい。いまは寒そう。もうすこし暖かくなったら……

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。