今日は午前中は『脱獄計画』を読んで、午後からは散歩してビール飲んで買い物してカラオケ行ってお茶してと理想の休日を過ごした。厚切りベーコンの炭焼きやさつまいもチップスを肴にクラフトビールを飲んだのも楽しかったし、店員さんの感じもよかった。眼鏡のレンズも交換したし、銭湯道具を入れるポーチも新調した。エーステの曲をたくさん歌った。卒業式もあったらしく、カラオケは繁盛していた。椿屋珈琲であんみつを食べた。よく歩き、あれこれとお店を見てまわるようなお出かけは、どうにも日記として残しにくい。よく遊び、よくお喋りしたな、という心地よい疲れだけがある。
告知のために久しぶりにTwitter をまともに眺めていたら、タイムラインが順番通りどころかフォローしているしていないも関係なく目に突っ込まれるようになっていて、とてもくたびれる。こんなもの体調や気分を損ねてしまう。それでも反応が気になって張り付いてしまうのだから愚かだ。
岸波さんが「柿内さんなんかプルーストや日記のイメージが強いけど、本質的にはゴリゴリに批評だと思う」とツイートしていて、嬉しい。批評を真正面からやるのではなくエッセイとしてやる、形式や文体から発明するような試行錯誤をしてこそ批評だと思っているからだ。あるいは、知識の足りないバカが反射神経だけで批評を試みるとこうなる、と身も蓋もなく言ってしまってもいい。
明日に備えて91年版の『朝日のような夕日をつれて』を観ていたら25時を過ぎてしまう。filmuy というサイトでレンタルしたのだが、音ズレが著しく難儀した。けっきょくiPad で映像を流し、iPhone から音を流す形である程度どうにかしたが、どうにも締まらない。過去に映像を観たのはこれだったか、べつの年のだったか、もはやわからない。しかしこれを今やるとなるとどこまで時事ネタを入れ替えるのか。まったく予想がつかないがまずそもそもマチネに間に合う時間に起きられるだろうか。不安だ。