昨日のデートではブランコや滑り台で遊びもしたのだった。気になっている服屋の開店を待ちながら、遊んでいた。ブランコも滑り台も、ふたりとも体が大きくなったぶん重力の威力もすごくなっていて、慣性の法則だとかなんかそういうのでものすごく大きく振れたし、勢いよく滑り落ちたので面白かった。体をある運動にただ委ねる楽しさに子どもは腹の底から笑うが、大人だって笑う。
体感としては、一日二時間以上SNSを見ると、生きる喜びが七割減退する。Twitterの投稿は優秀なキャッチのようなもので、声をかけられた、目に入ったと認識すると同時に論旨が頭に入ってしまうから強烈だ。マストドンは鹿爪らしい人たちや怒っている人たちの話が長いから、スルーしやすい。話が長いからというより、「どうすか!」ってこっちに向かってくる感じがあんまりないのがいいのかも。純粋な独り言の場所はこっちに移動したんだろうな。「きいてほしい」という気持ちは、毒になりやすい。ただ声を出すのが楽しい、文字を書いたら形ができるのが面白い、考えを外に出すと積み上がって足場になってもっと遠くまで行けるからすごい、そういう感覚で黙々とひとりで言葉をいじくる。それでも言葉は風を通さないと腐るから、いちおうは誰かの目に留まる可能性もなくはない、そういう環境はとても繊細なバランスでできており、あんまり多くの人数がいると破綻してしまうのかもしれない。
中目黒に着くまで『〈世界史〉の哲学』。フレッシュネスバーガーでご飯を食べながらそわそわする。観劇とかイベント参加とか、開始時間が明確に決まっている用事があって、目的地周辺に会場10分前とかに着いて、すこし早いな、というようなとき、さらっとカフェとか入れる人を尊敬する。コーヒー一杯飲んでればちょうどだな、みたいな気持ちのゆとり、すごい。僕はうっかり間に合わなかったらどうしようと心配で、会場の半径三分くらいのエリアでうろうろうろうろしてしまう。だからお昼もすこし慌てて食べて、マチネに。
『朝日のような夕日をつれて』。客席のほとんどが俳優目当ての女性客で占められている劇場では、戯曲がもつホモソーシャルなノリのグロさが際立つようで、それ自体がなにかしらの批評性を帯びてしまうのが面白い。元の上演はとにかく間を潰す早口の台詞の放流と、抽象舞台に矢継ぎ早に持ち込まれる具体的なモノたちとの戯れ──巨大化するボール、大量に降ってくるピンポン球、フラフープ、十字架……──によって過剰に塗りつぶされることで逆説的に虚無が際立つという方法でゴドーを浮かび上がらせる。沈黙以上に虚しい饒舌、このかなり安直な換骨奪胎は、昨晩見た91年版では滑稽なほどの過剰さによって力技で説得力をもたされているのだが、今回の上演では冒頭からしっとりとゴドーの間で、それでははじめてゴドーが引用される瞬間の、あ、という意外さが損なわれてしまう。開幕と同時に振り切れてテンションも速度も最大値を出力しないと成立しない作品なのだよな、ということに気がつくような演出のつけかたで、個人的にはあまり合わなかった。三十年前の時点ですでに情報化社会の袋小路を予感していた戯曲の異形は、とっくに日が暮れてしまったいま見ると陳腐に響くという難しさがある。小道具の少なさや、統一された衣装、ハジけきることのない演技の振り付けに、第三舞台って景気がよかったんだなあ、と寂しい気持ちにもなった。キンケロシアターはいい劇場で、音響や照明が格好よく映えていた。俳優たちにとってはいい勉強になりそうではあるが、この企画をきっかけに戯曲の面白さ、テクストとしての演劇の楽しさに開眼できるかというとよくわからなかった。俳優よりも、演出家よりも、劇作家よりも、音照よりも、その総和よりも大きいのが作品というもので、よしあしを属人的に判断できるような気にさせられてしまうようでは嘘なのだから、戯曲をことさらに持ち上げても仕方がないのだけれど。戯曲の狙いが舞台上でぼやけているとしたら、それは演出の解釈がぼんやりしているからで、ぼんやりとした指示を受けた俳優はいくらいい仕事をしても芯を食うことはない。今回の戯曲の視座は明晰すぎるほど明晰なのだから、それを捉え損なってしまうと単なるわちゃわちゃになってしまうというのも確かだ。久しぶりに演出に対して「おれにやらせてくれたらいいのに」と思うようだった。
母からのLINE で思い出したが、結婚して七年だった。ふたりともすっかり忘れていた。お祝いは先週済ませていたしな。二人とも母が撮影した動画のクオリティの高さにばかり意識がいって、七年の感慨を覚え損ねた。
切ないもの縛りでしりとりしようぜ。
「ばか」
「か、枯葉」
「禿山」
「まちぼうけ」
「け、け。結婚記念日を忘れてた」
「それ切ないかなあ」
「結婚記念日を忘れられた」
「それは切ないかも」
「でもどっちも忘れてたんじゃ」
「お互いに忘れられてたってことだから、切なさも二倍」
「そうかなあ」
