2023.06.08

珍しく出社する奥さんは意外にもシャキッと起き出して颯爽と出ていったので格好よかった。目覚めから妙に空腹感があって、トイレに行くとなんの手応えもないままビャッとお尻から水みたいなのが出たので驚く。そのまま朝だけで三度トイレに駆け込む羽目になった。それはそれとして空腹ではあったので朝食を食べる。痛みを伴わないお腹の不調はあまり覚えがなく戸惑う。勢いよく水分を放出したので脱水気味でふらふらし、塩飴をふた粒舐めて水をごくごく飲むと寝こけてしまった。そのあいだに引っ越しは終わって、いつの間にやら同居人は退去していた。引っ越しの業者というのは手際がいい。あるいは僕の眠りが深すぎる。

午前中は『チェヴェングール』。午後は『別れる決心』を観る。パク・チャヌクは熱心に追っているわけではなくてたまたま観た『お嬢さん』が大好きだったくらいなのだが、ちゃんと遡って掘ろうと思った。すごい映画だった。往年の映画を想起させるコテコテの劇伴、粗野なズーム、あらゆる装置を媒介とした視点の複層化、あまりに鮮やかな妄想の浸食、決定的な真上からのショット──あらゆる趣向が映画がつねに愛してやまないファム・ファタルものの構造を誇張し、ズラし、無化していく。三度ほどもうここで終わりだなという箇所があり、そのたびに蛇足めいた延長がなされ、しかしその冗長さによって映画の質が大きく変容せざるをえなくなる。なにより、終わりを引き延ばす欲望は観客のものではなかったか、と突きつけられる幕引きにうひゃあと思う。これは何度も見返すだろう。湯唯の口と唇の映画だった。唇のように柔らかい掌。

客席で奥さんを待ち、エーステのソワレ。立川よりもTDC のほうが近いし音がいい。タンジェリンの声帯が戻ってきたことでストレートプレイだった箇所が歌になり、ずいぶんと雰囲気が変わる。平日だからか高校生が多く、全身ではしゃぐ様子に明るさを感じる。ビールを二杯飲んで帰る。

今夜から明日の午前にかけて遅れや運転見合わせがあるかもしれない、と東海道新幹線の布告が出ており、あす関西に辿り着けるか自信がなくなってきた。理想としては昼すぐには京都奈良に着いていたいけれど、明日はとにかく辿り着きさえすればいい。『チェヴェングール』を読み切ってしまわぬうちに。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。