2023.06.09

早起きは成功したけれどまだ世は平日だから通勤ラッシュがあるなと気がつきのんびり支度をする。
京都駅まで三時間半くらいだったろうか。『チェヴェングール』がはかどる。半分くらいまで来た。チェヴェングールという言葉の指示対象がだんだんとわかってくる。小休止にスズキナオさんの記事、水無瀬という場所の角打ちと本屋についてのものをことさら出版のツイートから飛んで読み返す。ここもいつか行ってみたい。

JRの乗り換え改札を出て、郡山駅で降りる。石畳の道をゴトゴトとキャリーを引いて歩く。とほん。砂川さんはお客さんとお話ししていて、先に店内を見ることに。お店の面積以上に棚が広いように感じる。一見とがらせてない、誰でもふらっと迷い込めるような本の並びにこそ、あっと驚く出会いは準備されている。気取らない、静かな矜持をそっと手渡されたような気持ち。この本はなかなか見かけなかったのだよなと思った松下育男『これから詩を読み、書くひとのための詩の教室』とウー・ウェンのもやし炒めの本で悩む。これからの行程を考えると各店で一冊に絞りたかった。悩みに悩んで詩人の教室にする。お客さんの質問はずいぶんと踏み込んでいていくのでひやひやしていたら新聞の取材だった。気がついたらさっき読んだばかりの長谷川書店の帯を見て『のほほんと暮らす』も手に取ってレジへ。そのままぬるっと取材のあわいで砂川さんと記者さんとおしゃべり。サイン本も作らせていただいてこのあたりの名物だという金魚の絵を添えていくとはじめはぎこちない模写だったが、だんだん金魚が独自に変型していって最後はむしろ鳥類に近づいた。

郡山から奈良へ引き返す。さっきも奈良で乗り換えだったので、まずこちらから始めればよかったのかもしれない。坂道を登るとほんの入り口。新書や入門書が充実していて、老若男女、いつからだって初学者になれる、広く学びにひらかれているような棚だった。通学路なのかな、近所の子供たちがちょろちょろ出入りしたり、かなりいい雰囲気。新しい本屋ならではの余白があり、これからどうなっていくのだろう。わくわくする。先月のオープンの報を見て、早めに伺うぞと思っていたのだ。橋本治の新書を一冊。特製ブックカバーをかけていただく。ここでしか買えないという冊子『あげくのはて』も買う。限定品は例外であろう。服部さんに挨拶をして、あれこれおしゃべり。本の話も一人芝居のお話ももっと伺いたく、これはもっとちゃんと時間を作っておしゃべりしたいと思う。その場で『会社員の哲学』も仕入れてくださる。栞もお渡しする。とほんにお渡しするのを忘れた。服部さんが砂川さんに渡してくださるというので多めに託す。このあと僕のInstagramの投稿を見てさっそく一冊買いに来た方がいらしたようで、ありがたい。僕が服部さんとお話ししていたその場にもじつは『プルーストを読む生活』の読者がいたらしい。なんという嬉しい偶然。

四条まで一本でいける電車に乗っていると、車窓からだだっ広い空間に立派な朱色の門があるのが見えた。すごい光景だな、と思うも、電車内でカメラを構える図々しさは持てなかった。『チェヴェングール』はよして、『あげくのはて』を読む。四条で降りて行ってみたかった棒ビルで明日のイベントで着る服を買う。最後の手段のキャップも買って、これは本の栞でおろそうかな。ポメラのケースに貼りたくてステッカーも買っちゃう。もう18時過ぎ。閉店時間に間に合いそうもなく、京都の本屋巡りは断念。

服部さんに熱くお勧めされたのもあって、やっぱり長谷川書店水無瀬駅前店へ行ってみたくなった。こちらは21時まで開いているらしいからまだ大丈夫。四条からなら阪急で行ける。さすがにこのあたりから本を読む体力も落ちていて、車内ではぼけーと過ごす。改札を出てすぐ右手に看板が見える。今日の僕は水無瀬の駅の敷地から外に出ることはなかった。あまりにすばらしいお店だったからだ。雑誌コーナーからただごとではない。吉祥寺のブックスルーエの比ではないくらい最新号のあいまあいまに単行本や文庫が繁茂している。遠目に見ればこれは文庫コーナー、これは児童書で、これは漫画、と一般的な書店の配置なのだが、どのコーナーも安易なラベリングに抗うような過剰さやズレや抜けがつくられている。ジル・クレマンの『動いている庭』のようだ──この本を僕は読んでいないが。作為的に作為が手放された、あたうるかぎり自然に近い庭。そんな棚なのだ。ここは朝一番に来るべきだった。夜のくたびれた頭ではこの豊かな複雑さを受け止めきれず、けっきょく既知の本しか手に取れないので悔しかった。新刊・話題の書の棚にケアや福祉の本がかなり充実していて、しかも流行だからというのではなくしっかりと意思を感じる揃い方でここから一冊は抜きたかったのだけれど。やや敗北感もありながら共和国の『レモン石鹸泡立てる』と点滅社の『ザジ』をレジへ持って行くことにする。レジ横の音楽や読書の本が集められた棚もすごい。隣の棚の古楽やフィールドレコーディングの本たちを引き継ぎつつも、パスカル・キニャール『音楽の憎しみ』が表紙を向けて置いてある。そして本積まれた本のすきまから見知ったかわいい本が覗いている。なんと、『プルーストを読む生活』だ! レジでブックカバーを巻いてもらいながら、服部さんの紹介できました、とご挨拶。名刺をお渡ししすると長谷川さんはとても喜んでくださって、ちょうどいま『プルーストを読む生活』を鞄に入れて毎日ちびちび読んでいるのだという。なんてこと。嬉しい。自分の店からは買わないのだという長谷川さんは僕の本を七五書店で買ってくれたのだという。じんわりと胸が温かくなる。まだ途中やけど、と長谷川さんがもうひとりの店員さんに向けて説明する言葉がいちいち宝物のようだった。この人は弱い人へのまなざしを持ってる、つねにどっちつかずなのがいい、いい塩梅を探そうとするんだ、などなど。ほんとうに読んでくださっている、とにこにこする。『会社員の哲学』も取り扱っていただけるとのことで、その場でサインをしながらついつい長話。店員さんから──とても素敵な方だったがお名前を聞くのをすっかり忘れていたことにこれを書きながら気がついた──お話聞いてたらこの本合うと思うのであげます、と『苦労の節約』という本をいただく。奥付に1990年とある。30年以上自主制作で本を売り続けている。大先輩だ。帯には「どこまでも楽に生きたい人に贈りたい」とある。たしかにこれは僕のための本だ。これも好きそうと教えていただいた小川てつオ『このようなやり方で300年の人生を生きていく』といちむらみさこ『Dear キクチさん、』もとてもよさそうだったので買うことにする。ちょうど二冊で今日の納品分と同じくらいだったので喜ばしい。僕は自分の本は物々交換のようにして、こうして直接やりとりするときは仕入れ値とおなじかそれ以上の本を買って資本主義を茶化したかった。長谷川さんもプルーストといえば、と井上究一郎『水無瀬川』という自選エッセー集を贈ってくださる。全く知らなかったが、ここは井上究一郎ゆかりの土地でもあるらしい。きょうはなんだかとびきりの偶然が重なる。電車の時間までほかほかした気持ちでおしゃべりをして、セルフタイマーで三人で写真も撮らせてもらう。

今日はよそものならではのバカの移動をやっているのだろう。新幹線で京都、郡山、奈良ときて、四条を経由して水無瀬、そして梅田界隈の宿へと辿り着く。さすがにへとへとだ。22時前に近くのラーメンを食べて、そういえば昼を食べそびれたなと気がつく。シャワーを浴びて、日記を書いている途中ですこしうとうとしていた。中途半端に目が冴えてしまったので諦めて日記を書き終える。25時。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。