たっぷり昼まで寝てしまうかなと思っていたのだけれど、10時前には起きていた。それでも8時間半は眠ったわけだし、16時前くらいから2時間も昼寝したから全体で見れば納得の休息日。仕事は明日から再開。複数の町を行き来するような一日を過ごすと、24時間で行けるところやできることのなんと多いことかと驚いた。一日あればけっこうできる。家にいるときもこれを忘れずにいたいなと思う。家でじっとしているほうが疲れるというか、日中に体を動かしておいたほうがいいことは関西での三日間で実証されたようにも思うから、きょうも元気にいってみよう。
奥さんがいるのが嬉しくて抱きしめるとスポポン!とズボンを下げてきた。えっ、何。びっくりしているとけらけら笑っているばかりでまったく話にならない。なにか教育に悪いものを観たらしい。
そんなわけで一緒に『吸血鬼すぐ死ぬ』の舞台のアーカイブを観る。奥さんはライブ配信でいちど観ていて、意外にも面白かったというので期待していたのだがほんとうにいい芝居だった。演劇でできることとできないことをきちんとわきまえていて、どうしたってスマートにできるはずのないことを大真面目にやることで可笑しみが生まれている。ゼンラニウムの股間から伸びる蔦をわざわざタイツを着たキャストを四人も使って表現するところとか、とにかく人力を酷使するそのスタンスが好ましかった。頻繁に主人公が死んで砂になるとう非常に舞台上での再現難度が高いこの作品が、これまで観た2.5次元舞台のなかでいちばん映像への依存度が低いというのが痛快でならない。一回も使っていなかったのではないかな。やたらと脱ぐキャラが多いけど、裸体のほとんどがちゃんと肌色襦袢やタイツで生々しくないのもよかったな。小学生レベルのしょうもなさだからこそ、さらっとした感じは大事。アンサンブルがおらず、ほぼ全員が複数の役を兼ねているのも、一つの役を複数の俳優が分有するのもよかった。むだに多いキャラクターがわちゃわちゃしているという新横浜の魅力を、ひとつひとつのキャラクターをきちんと一人の俳優に紐付けて際立たせるよりも、座組全体で実際にわちゃわちゃするという形で表現するという英断。楽しかったなあ。
折りたたみのキャリーカートを持って家を出て、電子レンジを買う。大きな荷物を持って歩くの、いまであればいくらでもへっちゃらだな。試しに使ってみると、音が大きく、冷凍ご飯がかたくなってしまった。ああ、そうそうレンジってこんなもんだったよね、と思う。前にあったヘルシオはやっぱりすごかったのだ。でもやっぱりレンジはこんなもんでいいような気もする。親子丼を温めたらぎりぎりアウトではないくらいの状態で、食べれなくはないから食べていたら悲しい気持ちになってきた。奥さんがすこし食べるというのであげて、歯磨きしてチョコ食べてなんとかした。
昼寝して、すぐ夕食。点天のひとくち餃子。6個は揚げ餃子、6個は水餃子、のこりは焼いた。ズッキーニを網焼きにして塩を振って食べた。水餃子のスープにはほうれん草も入れる。じぶんたちで料理をするようになると日記に食事の記述が増えるような予感がある。なんでもいいから自分の手を経由したものは書いておこうと思うのか、日記の対象となるなにかしらの痕跡として認識するらしい。
食後、部屋の模様替えの計画。同居人がいた部屋に本を集中させて僕の書斎に、寝室を奥さんの部屋に、もうひと部屋の唯一クーラーがある部屋を寝室に機能を移し替えていきたい。それぞれの部屋をもつというのはちょっと楽しそう。奥さんの部屋にはゲームを、僕の部屋にはスクリーンを置くつもりだから、お互いの部屋に遊びに行くことになる。
関西以降の予定を意識的にあたまから抜いていたので、あれこれの返信や調整を始める。なんだかんだでこれからもそこそこ動いているような気もしてきた。