2023.06.14

ゼロ年代に本とか映画が何より好きな10代を過ごしたせいでじぶんのことネクラで繊細な人間だといまでも勘違いしがちだけど、すくなくともいまの僕はネアカでがさつな人間なのだよな。そしてたぶん友達が少ないだけで性根はずっと浅かったし軽かったんだと思う。いまだに人間のことはうっすら嫌いだし、誰かとの約束よりも本読んだり映画観たりするほうを優先したくなることもあるけど、たぶんそういうことじゃないんだろうな。これは人間よりも人間の作ったものが好きというだけで、明るさとか暗さとかとは別の話だった。

手汗で指紋認証が通らない。足汗で歩いた跡がしっとりする。舌の苔も白くこんもりと積もっている。これは疲れなのか天気なのか休日明けの憂鬱なのか、どうにも判然としないなと思う。ベランダにレジャーシートを敷いて折りたたみの椅子をひろげて腰掛けたからだにお灸を置いていく。もくもくと煙って、30個くらいのお灸をどんどこ燃やす。ヘビースモーカーの気分。

今晩は楽しみな飲みの約束があって、労働の再開日はいつも憂鬱なのだけれど、この楽しみとぶつけることでなんとなく晴れやかな気持ちが維持されるようでいい。これからは連休明けこそ嬉しい予定を用意しておきたい。僕は日記は当日の夜に書く。蟹の親子さんも日記は夜に書くらしい。スタンダードブックストアで飲んでいた僕が酔っ払って書けないというようなときはどうしてますかと訊くと、久木さんはすこし間を空けて、そういう日はないです、と応えたのだと思う。同じく日記はその日にあったことだけでなく、前のことを思い出したならそのことも書いていい、みたいな話もされていて、それでというわけでもないのだけどきのうの日記に書き忘れたのはこういうことだった。僕が洗面所のドアのわきに寄りかかって立っていたら、奥さんがそのドアを閉めようとした。それで僕の右腕の肉がドアに挟まって痛い痛い痛いと悲鳴を上げて、腕には一本の赤い筋がついた。吸血鬼だったら砂になってたところだよ、と僕はうらめしい顔をして奥さんに笑いかけたのだが、しかしこれはきのうの日記の流れに置かないとそこまで面白くない話だ。いま右腕をかるく揉むと鈍い痛みがはしる。

17時くらいからもうそわそわと何も手につかなくなって、もういいや!と家を飛び出す。表参道まで出て、武塙さんの誕生日プレゼントを買ってからABCをひやかして待ち合わせの時間まで過ごす。宮益坂のてっぺんのお店に向かうともう武塙さんはカウンターで待っていてくれて、遅れてくるRyotaさんを待たずに赤星をひと瓶ずつ。なんだかすごくあっさり終わってしまった気がしていたけれど三時間話していたようだった。誰が言っていたか忘れたので僕の手柄にするけれど、文章は脱ぎっぷりより着こなしなのだという話がよかった。僕の日記はぜんぶ書いているようでいて生活の実態がさっぱりわからないと言われて嬉しかった。僕はふわふわしながら毒を吐いたり、勝手な作家としての武塙論なんかをぶちあげた気がする。なんにせよまったく話し込んだ実感がないままで、それは早々にほろ酔いで内容をほとんど覚えていないせいかもしれない。たこと燗がおいしかったな。それだけはたしか。

ひと駅ほど手前で下りて歩いて帰る。目の前のお兄さんがあうえーとゾンビのようなうめき声を上げながらジグザグに歩いていて、酔っ払いだ危ないな、と考えていたけれど、気がつけば僕も千鳥足で鼻歌が漏れていたからどっちもどっちだ。コンビニでチョコモナカジャンボを買ってもしゃもしゃ食べながらずんずん歩く。

帰宅すると奥さんにアイス食べたでしょとすぐばれる。口の周りにチョコやバニラがくっついていたから。武塙さんがあなたのことエーデルワイスみたいな人だって言ってたよと教えてあげると、スイスとオーストリアの国花みたいってこと?と首をかしげていたので妖精みたいで可愛かった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。