神田伯山「中村仲蔵」の映像を見る。こいつはすごいや。老いた常連の台詞のいちいちに泣ける。観客の矜持。演者の才覚が血を覆す話であるようで、じつはどんな工夫もそれを受け取るものがいなければどうにもならないという話であり、なにより観客讃歌であった。九時には目覚めていたが十一時近くまでベッドの上でごろごろしていたせいで一日が短い。ブランチ替わりにおいしいチーズケーキを奥さんと半分こして、奥さんはひとつめのライブを観に──はしごなのだ──先に家を出るのを見送ったあとは本を読んであっという間に十五時とかで、もう出てもいいのだがもうひと遊びしておこうと思っての講談だった。満足して家を出る。
BUCK-TICKのライブで、終演後へなちょこな携帯の電波が入るところまで出るとすぐさまファンクラブに入った。あんなのメロメロになっちゃう。櫻井敦司はMVの小芝居さえぎこちなくて、奥さん曰く演技もからきしらしいのだけれど、ステージの上での表現はあまりにも豊かで、たったひとりの肉体でできるものの大きさに圧倒されてしまう。指先まで行き渡った物語の予感。揺らぎさえもコントロール下に置いたような歌唱の安定。去り際の帽子を持ち上げる角度と速度の完璧さ。太ももの輝き。今井さんも可愛くて格好いい。というかみんな演奏がすげえ巧い。ドラムソロも格好よかったし楽しかった。音楽というのはいい。記述可能な意味がないのにその予感が充満している。僕はたぶん物語というものへの不信が強く、出来事をいちいち説明的に順序だって語る態度を端的にダサいと思っているのだが、だからこそ歌は明確な叙事を介さずにただ予感だけを表せるからいいよなと感じる。映画も演劇も僕はストーリーはどうでもよくて表面で起こる動きやなんらかの徴だけを見ている。ナラティブが前景化してくるととたんにひゃぁと赤面してなにも入ってこなくなってしまうことがままある。人前で歌ったり演奏したりすることよりも、物語を語るほうがずっと恥ずかしいという感覚について考える。
開演前にはちゃっかりアロハも買っていて、僕にとても似合っていた。周りの老若男女みんなに似合っていた。男の人も観客はみんなおめかししていて、それがなんだか嬉しかった。だから僕もアロハを羽織ったあとトイレでちゃんと着こなしを確認したのだ。そのまま商業施設内の中華で夕食。ジンジャーハイボールからの青島ビール。あんかけ焼きそばと麻婆豆腐麺、ピータンに牛肉の胡椒炒めですっかり満腹だった。メロメロで満腹な僕はぼけーっとしてしまった。行きも帰りも明るい色はジャニーズで、黒尽くめが僕たちだった。
お風呂で実写版『ONE PIECE』の予告編を確認すると、ちょっと見たくなってきた。少年漫画の実写でちゃんと面白そうなこと、ありえるんだ。