駅の階段のなかほどで右手を片親、左手をもう片親と握り合った子どもがこれ以上嬉しいことはないという笑顔で立ち尽くしていた。もうこれ以上くだっていきたくないというような不服の色は微塵もない。なにせ満面のにっこにこ。ただ満たされた様子で頑として動かない。僕もああなりたいと思った。
無風。物凄い蒸し暑さのなか慣れない道を歩く。
明け方に自分のしゃっくりの大きさに驚いて目が覚めてしまって、それからうまく寝付けなかったから体が重い。もういやだな、と思う。僕は先の子のように喜色満面で立ち尽くすことはできない。喜びがない。ただくたびれて嫌なだけだ。背中の汗がだばだば流れ落ちる。奥さんも僕よりすこし早くに目が覚めてしまったのか、そもそも寝た気がしないで眠れる気がしなかったので起き出していた。僕は諦めてシャワーを浴びたが、奥さんは四時くらいだったそのころふと箪笥から浴衣を取り出して着付けてみせた。とびきり素敵だった。きれいだね、目が覚めるような思いだったが寝不足の僕の顔は青白く瞼も腫れぼったかった。なんとか騙し騙しもう少し寝たら家を出る予定の時刻をあっさり過ぎた。
世田谷文学館にようやく着いたのは予約時間を三〇分ほど過ぎたころで、石黒亜矢子の個展だ。奥さんが好きで新刊が出るたび原画展には出かけていたので、見たことのあるものも多いのだがこうして集約されると数が多い。もっているTシャツの原画を見ると愉快だし、映画のキャラクターを猫に模したシリーズも楽しい。装画や妖怪画のコーナーで思っていた以上に京極夏彦作品との縁が深いことを知る。絵本からかと思っていたが、『豆腐小僧双六道中』からの仕事とのことで──これが妖怪を描くきっかけでもあるらしい──僕はこれを中学生で読んだはずだからじつはずいぶん長くこの画家に親しんでいたことになる。『邪魅の雫』の原画を見ていたら、とうとう出る新刊のノベルス版にも装画をあしらっている京極堂シリーズが無性に読みたくなって、実家から持ってくるのも面倒だし、すぐ読みたかったからその場で電子版を一気に買い揃えた。豆腐小僧も古書を取り寄せることにして、二時間ほど眺めて変な時間にお昼を食べたサイゼリヤでさっそく『姑獲鳥の夏』から読み始める。小学生の僕は京極夏彦と保坂和志を真剣に読んでいたので、姑獲鳥と魍魎はディティールまで妙に覚えているようだ。姑獲鳥のほうはオチをあまりよく覚えていないのは幼すぎてよくわからなかったというのもあるだろうが、じつにこの作品らしい記憶のされかたではないか。体調からして難しいのではと思ったが展示を眺めているあいだは元気で、うきうき楽しかった。サイゼを出たあと芦花公園を散歩して、墓を見物して、ああそっか、徳富蘇峰の弟か、『変革する文体』の! といまさら合点がいった。芦花公園は木々もカラスも大きくて、とくに木がよかった。すっくとのびのび高く伸びて、僕の身長二個分くらいの高さからようやく枝を分けていく。その枝ぶりも格好いい。マスクを外して深呼吸すると、土や樹液の匂いが胸いっぱいに入り込んで、ああっこれは元気が出るなあ! と感激していると、虫なの? と奥さんは訝しんだ。
バスを乗り継いで帰宅。すこし仮眠。うどんをつくって夕食として、水を貼った浴槽で読書。奥さんは先に寝入って、僕は日記を簡単に済ませておく。
