人はなぜ、泊りがけで出かけるとき持っていく本の量を多めに見積もってしまうのか。なんとなく焦りがある。いま併読している本が八冊くらいあって、どれも読み終えそうにないなか週末の福岡に何を持っていくのかという問題が切迫してきたのだ。今週中に何冊か読み終えてしまえば悩みも減るかと考えもするが、そううまくはいかない。あるいは、旅行にはあたらしい本をおろしたいというのが人情であるからだ。そもそもどうせ向こうで本を買うのだ。それに慣れ親しんでいない街を歩くほうが楽しいのだから、わざわざ持って行ってもほとんど読まないだろう。わかっている。わかっていても持っていってしまうから不思議なのである。文フリ福岡の翌日に本屋巡りのつもりだったが、月火定休の多さに途方に暮れている。調べてから予定を組めよという話であるが、予定を組まないと調べるのが面倒なのだ。なぜなら調べれば調べるほど可能性が広がり決断の局面が増えるから。こうなってくると月曜の過ごし方として福岡で本を読んで過ごすというのもあり得てくる話で、そうなると余計に持っていく本に悩む。
見田宗介著作集の四冊目は『近代日本の心情の歴史』で流行歌から明治維新以降の民衆の心情を紐解いていくという試みらしく大谷『歌というフィクション』に接近してきた。『歌というフィクション』には永山則夫が松本隆との対比で出てきて、『まなざしの地獄』は著作集の六巻に収録されている。抄録なのだろうか。元の長さを知らないから判断できない。もうしすこししたらわかる。巻が改ったらまずは巻末の「定本解題」から読むのを楽しみにしている。
きょうはやる気が出なかったので仕事中にKindle 読み上げ機能で柄谷『近代日本文学の起源』を「読んで」いた。耳からざっと聴きながら概要を手元のメモに書き連ねていくというやり方で、議事録の速記に近い感覚。ややこしいところはテキストを確認する。森鴎外の鴎が読めないらしく「モリガイ」と読む。正岡子規は「マサオカホトトギス」だし、『蒲団』は「カマダン」だ。Siri はかわいいね。ばかで。
『キングダムハーツ』は僕には無理かもしれない。アリスんとこのエヴァみたいなやつ勝てなくない? などと思って不貞腐れていたら奥さんが繰り返しの試行の末にちゃんと勝っていて、すごいな、格好いいなと思う。