18時のメンテナンスが明けるといつものようにFGO を開いてあたらしいイベントをチェックする。今回はカエサルの話らしい。カエサルか、ローマピックアップとか来てないかな、とお知らせをチェックしようとするも、18時ちょうどくらいだと、まだお知らせが反映されていない。直接召喚一覧を見にいくと、はたして、ローマ特集だ! ネロもいる! それまでアーレントを読んでいたのだが、もう一文字たりとも頭に入って来ない。労働よりも仕事よりも活動よりも推しを推すことのほうが優位にくるということだ。震える手で詳細を確認する。ネロは期間中常時ピックアップで、排出率は1.2%だ。普段僕が日課の祈りのように引いているストーリー召喚では0.048%だ。つまりこれは、千載一遇のチャンス。僕はつねづね赤ネロのピックアップの暁には三万円までなら躊躇いなく出すだろう、と宣言していた。喉がひりつくほど渇く。膝も笑いだす。あっという間に一万円溶かした。カエサル嫌いになりそう。セイバーだ、と思うとだいたいやつだ。そもそも金色に光っていないから違うのはわかるんだけどなにかの間違いがあるかもしれないからセイバーだとときめいてしまう。もう一万、指紋認証だと怖いくらいあっさり決済がなされる。もし引けなかったら、いや、引くまで引いてしまうだろうから、いったい何ヶ月先の書籍代まで注ぎ込むことになるだろう、そうなる前に、来てくれたらいい、しかし、三万円を超えたら、そこからは本を売って資金にしよう、しかしそんなに高値で売れる本があるだろうか、もし僕が引けないうちに奥さんが無課金で引いてしまったら、この家の雰囲気はすっかり冷え込むだろう、それは嫌だ、家庭内の平穏のためにも僕はネロを迎えなくては、しかし、来てくれるだろうか、口の中がカラカラで、いま口臭すごいだろうな、と思う。高校生のころ初めて告白して、返事を待つまでの一瞬が永遠のように長かった──僕はこれまで一度も告白というのをしたことがないのでこれはありもしない記憶だ──そのことを思い出す。動悸がする。もう一回、金色の回転だ、セイバーだ!
半年前にFGO を始めたころは、たかが紙芝居みたいなデータをわざわざお金出してまで欲しがるの? とか思っていた。いまじゃ待望の召喚に感動するあまり、夜風に吹かれたくて一駅歩いて帰るほどだ。火照った顔に風が気持ちがいい。後頭部がガンガンする。志望校に合格した時も、内定をもらった時もこんなに興奮はしなかった。ほんとうはいますぐ叫び出したい。万雷の喝采が聞こえる。
家に帰るとちょうど奥さんが仕事を終えて廊下に出てきていた。奥さんは、おかえり、と手を上げる。僕はガッツポーズを見せ、上着を脱ぎ、手を洗い、そして
来た、見た、勝った!
そう言って奥さんを抱きしめた。事情を知らない奥さんは、え、カエサル……? あなたがカエサルなら、私はクレオパトラってこと? と戸惑っている。カエサルじゃない。カエサルじゃ断じてない。
夕飯の鍋を囲みながら、僕は放心していた。何度も僕のクレオパトラを見つめ、奥さんは頷いた。推しを、引いたのだ──
喜びというのはフィジカルにくる。僕はだんだん具合が悪くなっていた。なんだか胸がいっぱいで、といつもより量が食べれない、しかしそれは、たぶんほんとうに体調が悪かったのだ。
最近仕事が忙しくてあなたが帰ってきてもまだ仕事してたりするから、きょうはあなたが帰ってくる前にあがれたから、玄関であなたがガッツポーズした時、そんなに私にお出迎えしてもらえることが嬉しかったんだ、と思ったのに、ちがった。
そう言って奥さんは、推しに狂う人を見るの好きだけど、ちょっと直接は圧がきついな、Twitter ふたつくらい挟みたい、リストに入れてる人の友達くらいの距離感がいい、と僕から少し体を引いていく。頭痛薬、飲んだ方がいいな。オタクの人が言う「しんどい」ってこういうことかも。これは本当に、しんどい。体がだるい。推しは体に悪い、生活に喜びが過剰供給されると人は具合が悪くなる。ほんとうに、よかった。嬉しい、嬉しいなあ。いまものすごく眠たいのだけど、種火を集めなくっちゃ。はやく聖杯を捧げたい。
