カプセルホテルの朝は早い。五時くらいからあちこちでアラームが鳴る。いびき高らかな人に限って熟睡していらっしゃる。寝直したいけど難しいかなあ、と二時間ほどぐずぐずしていると耳鳴りがして体が動かなくなった。金縛り。耳鳴りの奥側でなにやら指示するような声が聞こえるような気がして、どうも意識はあっても体が寝てしまえばすこしは夢を見るらしい。たぶんそのままちゃんと意識も途絶して、九時まで。カビゴン41点。
熱いシャワーを浴びて、ここはシャワーしかないけれど真上からやわらかくお湯を降らす仕掛けがあって湯船に浸かるのと同じようなリラックス効果を得られるらしい。ほんとうであれば椅子が欲しい。目覚めたときはもうだめかと思ったけれど、案外しゃっきりするものだ。ひつじがで買った胸に「ZINE」と大きくプリントされたTシャツに着替える。一〇時ちょうどくらいに天神に着いて、大丸周辺をうろつき、よさげな喫茶店でモーニング。開場してしばらくしてからでいいや、という慢心。ようやく気持ちも緩んできたようだ。昨晩はずいぶん飲んで、日記はなぜか書けているようだがあまり内容を覚えていない。いや、町を歩きながら信号待ちなどの余白に書き続けていたから夜の部分だけてきとうに繕えばそれで日記になる。今日の日記のようにずっと人と会っていて疲れて眠ってしまって翌日書く日記のほうが記述はやけに詳細になったりする。それは現在においていまだ進行中のものを書くことと、いちど区切って完了したものを書くこととでは距離が異なるからだ。遠いものは書き尽くしたいと思う。だからどんどん面倒になる。渦中で書けば書くだけだ。サンドウィッチをもさもさ咀嚼するのに夢中だったせいか、隣の席にいた太田さんを無視していたらしいことを会場でにこやかに挨拶をしたら教えてもらった。ぜんぜん聞こえていなかった。いやなやつじゃん。
設営を手慣れた様子で済ませ、写真に撮って奥さんに送る。百万年書房のブースを見に行って、北尾さん、堀さんにご挨拶。堀さんにお会いしてみたかったから嬉しい。『文學界』の話とか、いろいろしたかったはずなのにご本人を前にそういうことは忘れていた。八階の会場をぐるりと回って席に戻ると開場。さて、売れるだろうかと不安に思うまもなく、まっすぐにブースに来てくださった方が『ベイブ論』を買ってくださる。鞄から『会社員の哲学』を取り出して、読んでます、ということで、はしゃぐ。もう満足だな。とりあえず泣きながら帰るということにはならなそうだった。それからもお客さんはいらっしゃる。制服かな、だとしたら高校生くらいだろうか、かなり若そうな方がおひとり、文學界のエッセイを読んだ、と言う。よかったので友達に回覧してくださったとも教えてくださった。とびきり嬉しい。ブースが入ってすぐのところで、だから入ってきた人は一応は眺める。そんなひとりが「えっベイブ!?」と声を上げて、嬉しそうに笑いながらおれ好きなんだよこの前ひさしぶりに見返して泣いちゃったもん、と隣の人と話していた。すげえなあ、ベイブで一冊、そうかあ、ちょっと見て回ってきます、とのことで、こういう時は戻ってこないかもなと期待はしない。でもちゃんと戻ってきてくれて買っていって、ちょうどベイブの話したばかりだったもんね、これを読んでベイブを語るの楽しみだね、と二人ともにこにこされていて、誰が読むんだろうなと思いながら作っていた本が、こんなに喜ばれるというのは予想していなかった。直接売ると、なんどもなんども驚く。娘と連れだって来てくださった元ゾンビ好きの方は、プルーストを読みながら日記を読んでいた、と教えてくださる。眼光鋭い出展者が、全点しっかり立ち読みして、ふん、と鼻を鳴らしたりしていて緊張したが、「ああ、これは面白い」とベイブを買ってくれる。やはりベイブがいちばん面白いのだろう。ポイエティークRADIO のリスナーも何人もいて、シールを配る。シモダさんに助っ人いただきブースを回る。外山恒一さんにサインをいただく、その場では忘れてしまっていて、あとで思い出した、『全共闘以後』がよかったこと、閉場時にいま一度呼び止めてを伝えられたので安心。『雑談・オブ・ザ・デッド』がやけに売れる。『傑作』も好調。既刊も新刊もまんべんなく売れて、閉場間際に『会社員の哲学』が完売するまで全点置いておけたのもよかった。数点書店への卸しにはじいていたから、これを出していたらもう少し売れたかもしれないけれど、本屋で売れるのも嬉しい。きのう本と羊で居合わせた『ベイブ』を知らないといっていたお二人には、文フリというのがあって、もし来てくださったらぺらぺら手を振りますよ、と軽口を叩いていて、来てくれるかな、とすこしたのしみだった。客足が途絶えると向こうの入り口のほうをみやって確認していた。夕方諦めたころに姿を認め、うれしくなって手を振る。守らなくてもいい約束をして、それが果たされること。けっきょく飛行機と宿代くらいは稼げた。
宿にスーツケースを置きにいって、ふたたび天神に舞い戻り、本のあるところajiro。『会社員の哲学』を納品。アイスコーヒーを飲んで落ち着く。鳥羽さんの本を買う。友田さんにお誘いいただいて、藤枝さんとはじめまして。近所に別のアジロができた。そのアジロはイカがうまいらしい、ということであじろに行って、飲む。イカは生け簀から取り上げられ切り刻まれ僕たちの前に供される。レモンをかけるとピャッと足をすくませて、あ、びっくりした、でも、もっと驚くべきことはもうすでに起きていただろう、と友田さんが呟くので可笑しかった。赤星の中瓶で始め、ゆっくり飲みつつお話をした。献上桃、名前、動的平衡と訂正可能性、雑誌、宮沢章夫。二軒目行きましょう、と入ったのは家康という焼き鳥屋で、焼き場には太鼓が吊されているのにあとで気がつく。ウーロン茶を挟みつつハイボール。実は影響を受けているという作家を挙げて欲しいと問われ、僕は保坂和志、京極夏彦、見田宗介と即答した。友田さんは蛇行するように考えながら、しだいしだいに三人の名前を挙げる。松本清張、村上春樹、相田洋。それぞれのエピソードがすでに「代わりに読む人」の作品や社是のようだった。お店の前で写真を撮って、電車のある時間に解散で、写真はすぐに送ってくださった。いくつもの、たしか七冊くらいの企画の種が見出され、でも酔っ払ってるからすぐに忘れちゃう、と藤枝さんが嘆いてみせると友田さんが、大丈夫ですよ柿内さんが日記に議事録残してくれますから、と嘯くので張り切ったが宿に着くとすぐに寝てしまった。きょうは耳栓を借りたから、朝まで目は覚まさない。
