奥さんがフスス……と笑うので、どうしたの、と訊くと、ん夢、とそっけなく返されてすぐ寝息を立てはじめる。寝言としてカビゴンにちゃんと録音されていたので、朝食の席でじぶんのフススを聞きながら奥さんはけらけら笑っていた。
評するという動詞には、GoogleのクチコミやAmazonのレビューみたいに、感じ悪く尊大に振る舞うように促すようなところがある。僕はもちろんすべての人間はえらいので、えらそうにものを言うのは当然のことであるのだが、しかし無用というだけでなく誰のことも愉快にさせない尊大さというのもいくらでもありふれている。それだけならともかく尊大であるが故にその発話主体の知性の瑕疵が目立ってしまい、せっかくのえらさが台無しになってしまうこともしばしばである。というか、誰でも簡単にえらぶれてしまう評するという行為においていかに気持ちよく酔っ払うことなくただ享受する姿勢を保てるかというところにこそ知的態度というのは問われている。ただ楽しい、という地平にただ気負いなく立つ、それこそ僕の理想とするありようであり、どれだけ背伸びしてもこれより大したことにはなりようがない。そのように何度も何度も言い聞かせておかないと、うっかり馬鹿みたいなクチコミやレビューみたいなものを書きかねない恐怖がある。感じの悪さが必要な時はそうしてもいいけれど、じっさい自分にはディスることで明確にしたいポジションもとくにない。ここまで心の準備をして書いたデッサンは、尊大で嫌味っぽい代物であったので自分で自分が信じられない。
きのうウエストで買ったヴィクトリアでお茶する。寒くて座っているだけで坐骨神経症じみた痛みが臀部に募る。夕食はあれこれ蒸したのを胡麻だれと柚子味噌でむしゃむしゃ食べるやつ。二〇時半にはお風呂に入って、今日こそは早く寝るぞと決意で満たされた。
