宮崎勤からオウム真理教にかけてのオタク言説の文脈を振り返る記述に連続して遭遇して、世代によってオタクという語のシニフィエは大きく違うのだよなということを改めて思う。異物としてのレッテルから、どことなく誇らしい称号への移行。社会からの承認を巡る意味の反転は、けっきょくのところ社会において有用か否かという尺度の動かしがたさを示してもいる。金さえ動かせれば何でもいいという身も蓋もなさは、言葉の周囲の関係の網じたいをとことん貧しくして、あらゆる語から重みを剥ぎ取ってしまう。重苦しい文脈を排してとにかく決済してしまいたいという欲望が、一元的な拝金主義でなくてなんであろう。過去と現在の靭帯がピンとこないまま、いまだ不在の未来への際限ない投機の欲望ばかりが掻き立てられる。そのように空疎な現在についての失望ばかりが深くなる。
次の引越しは購入も視野に入っているのだが、家を買うというのは無限遠の未来を描くことを誘発するものであり、しんどい。それは、無限という観念がこの生の空疎化をもたらすからである。そういう虚しさもあって新築は考えられない。せめて過去を現在にまで引き込むような中古で探したい気持ちがある。それは過去を含み込んだこの現在における有限性を引き受けるということだ。未来など、無限の可能性など、考えようがない。あるものであるようにあるだけだ。そのようにしかできない。だからどの土地のどんな家にしようかと、無限の可能性のなかから選ぶいまの段階がいちばんしんどくて、なかばやけくそで決めてしまってからしか思考が開始しない予感だけが濃厚にある。しかしそのような態度は端的に木偶であり、生活の共同経営者としてあまりに頼りないのもまたわかってはいる。しかし。愚図ついている。先日このような愚図愚図を話したら、もうあなたは金だけ出してくれればいいよ、と溜め息をつかれた。
Twitterで見かけてすっかりハマってしまった『剥かせて!竜ケ崎さん』という漫画をkindleで買ったのだけれど、驚くべきことにTwitterで小出しにされているエピソードのほうが単行本より先をいっていて、しかも一昨日くらいから竜ケ崎さんが新型感染症にかかり重症化し入院しているという、非常につらい展開になっている。17時7分ごろに新作が投稿されるので、この三日ほどはその時間になるとずっと張り付いて更新を待っていた。三分割の投稿は一分くらいの間隔をあけてツリーにつなげられるのだが、その数十秒の間にいくつものスパムが返信欄につく。
あなたの投稿がとても好きです。あなたは私たちにあらゆる新しいものをもたらすために一生懸命働いています。それは私たちにとって喜びのしるしです。感謝しております。(smiling face with heart-eyes)
認証マークをもっているから、たくさん見られると小銭になるのであろう。全自動化されたこのような投稿が二秒でつくのを眺めながらふたつめの投稿を待つ。まだまだしんどい展開が続きそうで、連載しているWEB漫画雑誌のページを探すがコインが必要で、しかもこちらもTwitterよりも遅い。なんでだ、と思いながらもうすこし粘るとニコニコ静画が最新話まで読めそうで、しかもTwitterよりも数話先まである! そわそわ読みながらこれはもう完結しているのかもしれないなとさみしく思っているといいところで引きで、次回の更新は26日だという。そうか、これに合わせて投稿しているのか。ということは、そこで完結なのだろう。ハッピーエンドであってくれ~と祈る。つらいのは嫌だ。なかよしの二人はなかよくなくなるまでずっと一緒であってほしい……
それにしても来週末が年末か。びっくりだ。10の位だと終わりに気がつけない。20の位になってようやくことの重大さに気がつく。僕のiPhoneは32GB で、FGO が16GB を占めている。さすがに、とキャッシュクリアしてみると1GB を切るほどにまでなって、いきなり容量が増えた。なんでもできちゃう。きっとまた遊んでいるうちにぶくぶく膨らむんだろうけど。とりあえず滞っていたアップデートを行う。夕食の塩麹の鶏ハムがとっても美味しい。奥さんはきょうZINE の売り上げ管理のスプレッドシートの更新作業までやってくれた。もう三年以上改良を重ねているこの台帳は、売り物にできるくらいの至れり尽くせりっぷりだと思う。朝から晩までずっと寒かった。
