なにかを投稿しようと開いたTwitterで、記憶をなくしてもう一度読みたいと『彼方のアストラ』の名前が挙がっていて、ああ、あれはたしかに初読じゃないと得られないあれが、ほら、えっと、どんな話なんだっけ、と内容をさっぱり忘れていることに気がついてびっくりした。いそいそとKindleに入っている全巻合本版を読み直したら新鮮に面白くて僕はもう新しい漫画を買う必要ないのかもしれない。あれ面白かった気がするというぼんやりとした印象だけしか残らないから、何度だって驚ける。健忘は得だ。投稿する内容は忘れた。
『マネジメント神話』はほとんど古巣のコンサル業界への研ぎ澄まされた悪口のような本だ。この本ではマネジメントとコンサルティングとはほぼ同義のようだが、実態としてはどうなのだろう。わからない世界だからよくわからないが、それはそれとしてこの世は、マルクスが交換価値を使用価値とは別個のものとして見出したころ、つまり資本主義の黎明期からつねに従事する「仕事」の抽象度が高まれば高まるほど収入が上がる。つまり、具体的な有用性からかけ離れればかけ離れるほど金持ちになるということだ。なんとなく人々に金儲けの虚しさが共有されているのは、じっさいのところそれが単なる虚業に過ぎず、適法の詐欺行為に過ぎないことを誰もがわかっていることによる。わかったうえで茶番に夢中になれる者が「成功」し、その馬鹿馬鹿しさに醒めてしまうものは「非効率」な勤労に正直に励んでいる。前者──資本主義というフィクションに従順に没頭できる優秀な「嘘つき」たち──の多くが、芸能や売文のような虚構を制作する職業に対して、そんなもの仕事ではない、とでもいうように冷ややかであったりするのがいつも不思議だ。文明なんて物質的なもの以外、ぜんぶ嘘じゃん。嘘が実生活を形成するから文明なんじゃん。そう思う。
僕は会社員として嘘のテクネーを操作し幻想の再生産に従事しつつ、生活には効率にエートスを明け渡しすぎないように配慮するという二律背反を、とくに屈託もなくそのままにしているが、じっさい悪くない生を実践するためには、時間よりも金銭による物質的基盤のほうが肝腎である。自由時間の豊富さよりも金で解決できる範囲を増やしておくほうが、好きなことをする時間の量の不足を補って余りある質をたっぷり確保できるというのは、加齢とともに体力や気力が一層弱ってきてから殊更に説得力を持ってきている。
リングで鷹木信悟が見せるよろめきは、舞台上での鈴木拡樹の演技と通じるところがある。体のあちこちに支点をばらつかせ、重心をそれぞれに巧みに移動させていくような、距離を無化する繊細な身振り。エル・デスペラードは2.5次元演劇を観ているようだし、そのあたりの表現のフィードバックが気になるね、などと奥さんと話している。
