大学に通うために実家を出て五年半一人暮らしをした。就職して半年で開始された奨学金の返済がつらくとうとう家賃が払えそうになくなってシェアハウスに移った。一年弱暮らして、奥さんと同棲を始めるタイミングでそこも出た。半年ほどで結婚をして、丸八年が過ぎた。こちらに出てきてから数えても、一人暮らしの時間が占める割合はずいぶん小さくなっている。それでもいまだに人と暮らしている自分に驚きもするのだが、実家暮らしの時期も足してしまえば一人暮らしというのはほんの一時のことで、むしろ驚くべきは一人で生活できていたことなのではないか。そもそも一人暮らしを断念したのは借金苦であったが、お金の管理を奥さんに一任してしまえばこの先何十年も続くかと思われた返済はほんの数年で終わってしまった。それで安心しきっていたら今度はふたりで奨学金の十倍近い額のローンを組んでいるのだからすごい。未来は分からないものだとは思わないというか、自分が将来どうなっているかなんてほとんど考えたこともないままでいるから何が起きても驚きではある。いつだって意外だな、と思う。そうなるまではそもそも予測も期待もしていないのだから、意の内などない。意識的な展望を描くことがないまま生きている。
いや、たぶんその時々の打算はあったはずで、しかしそれは計算というほどでもない、その場のノリと勢いでえいと張る賭け事のようなもので、やはり長い沈思黙考のうえに判断するというようなことを僕はほとんどしたことがないのではないか。奥さんは何事も入念に下調べしたうえで可能な限り増やした選択肢の中から選び取っていくというやり方をするのですごいなあと思う。
切った野菜、煮汁、茶碗、コップ、あらゆるものを床に落とす。それでも夕食を作った。