2024.03.21

電車内で読み終えた『評伝クリスチャン・ラッセン』が破格に面白くてアーバンマイルドヤンキーとしてやっていくぞという気持ちが育まれてきている。アーバンマイルドヤンキーが何を意味するのかまだわかっていないが、サバービアや四畳半に居ながら憧れる「都市生活」の幻想ももっておらず故に土地に根づいた緊張関係も弛緩しきって、もう一方で洗練された「純粋芸術」を追求するサークルの狭量さにも幻滅したうえで、もはやどこにも夢見る理想が見当たらない。そんな心境のなかそれでも残るマイルドヤンキー的感性を誤魔化さないでやっていくというようなことなのではないだろうか。生活保守でありながら、政治や思想においてリベラルであることを手放さないような。際限なく仲間意識を拡張するような節操のなさと、実際の人間関係の限界を冷徹に見定める感覚とが同居した者。よくわからんが、たぶんそんな感じだろうとラフに放言しておき、おいおい詰めていく。下北沢に到着するところでちょうど読み終えたから、ミカンのなかにあるタコス屋でカレーを食べながら興奮気味にツイートをつくり、奥さんに話し、また文字にした。

原田裕規『評伝クリスチャン・ラッセン』、大傑作。これは現代の『平家物語』である。評伝や受容史としても抜群に面白いのだが、白眉は作品論である。「ベタ」「メタ」「ネタ」というそれ自体すっかり陳腐であるインターネット的消費のスタンスのいずれにも寄りかからず三項を等価に扱う記述のあり方が、そのままこれまでのラッセンをめぐる言説への批評となっている。正直ラッセンには良くも悪くもなんの関心も意見も持っていなかったのだけれど、いまものすごく興味津々である。ラッセンの栄枯盛衰はそのまま日本圏内における経済、文化、戦争の鏡像だったのだ。原田裕規『評伝クリスチャン・ラッセン』の素晴らしいところは、「けっきょく作品よりも本人の人生の方が面白いってことでしょ?」みたいな安易なスカし方を許さないところだ。きちんと作品を論じ、だからこそその作り手の生活に意味めいたものが付与される。本当にすごい。

腹ごなしを終えて、ラッセンへの興奮もある程度は外に逃がせたところでザ・スズナリへ。待望の再演を奥さんと観るのだ。平日のマチネにも関わらず、キャストによってみっちみちに詰め込まれる満席の客から発せられる熱気がすごくてすでに楽しい。客電が落ちて、マッチが擦られるともう夢中だった。

流山児★事務所『田園に死す』。語のレベルにまで至る分解と、時系列を巻き込んだ順序の入れ替え、そして執拗な反復という天野天街の手法は、まずなにより寺山修司その人をナンセンスなまでに解体し尽くし、他作品の文言や評伝的事実をふんだんに混入させ、同一のモチーフをいやというほど繰り返すことで、一人の作家の一面を複層的に立ち上げていく。演劇の形をした作家論であり、演劇論であり、創作論である。ぶっちゃけここで抽出される寺山の感心というのは現在からすれば陳腐なものというか、「上京を巡る自分探し」とでも要約できてしまいそうなものでしかないとも言えるのだが、だからこそその意味内容ではなく読解の手つきそのものにこそ感動する。意味ではなく、語尾の音の重複によって横滑りし続ける語りの快楽は、少年王者舘のオリジナル作以上に豊かに膨らむ。作者が作品を所有するのではない。作品というものはそれ自体が仮構された「作者」を持ってしまうものなのだ。この「作者」は作者本人とぴったり一致することはなくて、どれだけ野次馬めいた探究を作品に向かって行ったとして、そこに見つかるのは作品によって作り出された「作者」だけなのだということが、天野の改作によって露わにされる。ラッセンも寺山も、安易な「作者」として粗製濫造されてきた。だからこそ原田はフラットに並置することで、天野はばらばらに切り刻み乱雑に散らかすことで、それらの大量の「作者」の出来損ないたちの集積からより鮮やかな「作者」像を描出してみせる。

奥さんが見つけてきたザ・モスク・コーヒーでトルココーヒーを飲む。砂で沸かすコーヒー。器も可愛くて、砂遊びの楽しさとカップの底に溜まるコーヒーの粉の質感とが重なるようで面白い。濃いのでインプット過多な頭がシャキッとする。パンフレットを眺めながら、十年前に観劇してぶっ飛んだ作品をまた観ることができる嬉しさを噛み締める。もっと再演というのはやったほうがいい。『真夜中の弥次さん喜多さん』もぜひまたやって欲しい。

きょうは「新日ちゃんぴおん!」で真壁と矢野が食べ歩いた店をなぞるつもりだった。まずは梅干しサワー専門店で一杯。どこで知ってきてくれたんですかと聞かれて、プロレスが好きで、と応える気恥ずかしさがあった。立ち飲みのカウンターは夜職の人たちの出勤前の宿り木でもあるらしく、夕方の早い時間のくせに深夜の雰囲気が充満していて面白かった。ゆっくり満喫していたら、いちばん期待していたホットドッグとビールの店は閉店の時間だった。東北沢エリアは夜が早いのかもしれない。クレープの店があるマンションみたいな新施設内もどんどこお仕舞いにしていた。

仕方がないので昼に入ったミカンのタコス屋にもう一度入る。ここはカウンター席と立ち飲みスペースが分かれていて、立ち飲みの方は冷蔵庫から好きに缶ビールを取り出して飲めるスタイル。メニューにホットドッグがあったので頼んで、食べるときはビニル手袋を使わせてもらえる。たしかに手の汚れを気にせずにわしっと掴めればより上手に食べられる。合理性に感心しながらビールをさぷさぷ飲んで、おいしくて、ごきげん。立ち飲みというのは気楽でいいな。留まるというよりも流れる感じがあって、散歩のような気分で飲める。缶ビールはラッセンっぽいというかハワイっぽいやつを選んでいた。

もうちょっと遊びたいね、と二階のバーで高くて賢そうな酒を飲む。貴腐ワイン漬けのチョコレーズンをつまみながら桜のお酒をちびちびやる。高いお酒はアルコールが前面に出てこないで、おいしさに誘われてどんどん深追いしたくなってくるから危険だ。ふたりで三杯に抑えて、出る。

駅前のスーパーでアイスを買って帰る。むだにサーターアンダギーとか林檎も買っちゃう。もうすぐ寝れると安心するのか、ここにきて酔っ払いが加速する。鼻歌まじりに買い物をして、ああ楽しかった、と言って眠る。喉が渇いて深夜に目覚める。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。