家を出てストップウォッチを開始する。タイムカードを切るタイミングで停止する。一時間三十一分で職場についた。前の家からは一時間だった。家から駅までの徒歩がプラス十分、はじめの電車に乗ってから最後の改札をくぐるまでの時間はプラス十分、これは乗り換えが一回増えるからでじっさい車内にいる時間は変わらない体感。そして定期の関係で職場にいちばん近い駅ではなくなったため、こちらも徒歩がプラス十分、前の家と比較して三十分おおく通勤に要する。案外電車は混んでいないし、座れさえしたからむしろ体は楽である。家と駅のあいだは平坦で人通りも少ないから本を読みながら歩ける。これも足しこめば読書に使える移動時間は二十分増える計算だ。往復で四十分。小説であれば中編一本読めそうな余剰。雨の日はこれが半減する。そのときはポッドキャストでも聞けばいい。なるほどね、と思う。悪くない。悩みどころは、持ってきた文芸誌のとりあえず読むべき小説を往路だけで読み終えてしまったことで、これからは二冊は常備していないと困るかもしれない。どうせ夜道はKindleしか光らないしべつにいいのか。
こういうのは新鮮味があるうちはどうにでもなるし、慣れてしまえばどうということはない。この三十分がそのようなものとして適当にいなされるのであれば、今回の引越しにまつわる心配事は、ゴミ出しの煩雑さくらいのものになる。近所付き合いというのもあるかもしれないが、これは引越し前から懸念してもしかたがないようなものである。ともかく一番の心配は通勤だった。ローンさえ組めてしまえば占めたもので、最悪のばあいは辞めてしまえばいいかと嘯いていたけれど、なんなら前の家からのほうが電車は不愉快だった。とはいえ、まだ行きだけであって、帰りはどうなるかわからない。雨が降っていて、傘を忘れた。折り畳み傘はとうとう壊れてしまったので慌てて新しいのを買う。より軽いやつにする。これまで使っていたのは骨が折れやすく三本くらい買い足したけれど、今回のやつは折れにくさを売りにしていて、あまり信じていないけれど頼もしく思う。
五誌掲載の小説は本数としては半分だが、量としては大半を読み終えたので、ざっくり時評を書き始める。今月もなんとかなりそうという確信を得て、気持ちがうきうきしてくる。家から段ボールが回収されたらいよいよはしゃげるという気がしているけれど、段ボールがあってもすでにだいぶ片付いてきたので時評のめどさえつけばはしゃげるのかもしれない。ひゃっほーう。
帰りの電車は遅延していて、直感とは反対方向へと滑っていくことが多かった。駅を出ると土砂降りだった。どこに住んでいてもこれは嫌だろう。復路は一時間四十分。往路比で九分増。お腹ぺこぺこで、いい匂いがした。鯛のアラで炊き込みご飯。めちゃうま。手のかかった味がした。それもそのはず。骨を丁寧に除き、骨は昆布と一緒に出汁を取り、そのだし汁で身を米と炊き込んでいる。三杯もりもり食べて、実山椒を散らして出汁をかけてお茶漬けにしてさらさらと仕上げた。素晴らしい。
照明のリモコンと目覚まし時計は依然行方不明である。
