2024.08.23

朝起きてからずっと右脚ももの裏が痛い。筋肉痛っぽいので、きのうの草刈りが原因かもしれない。週末のLife の準備として歳の取り方について考えていたらだんだん具合が悪くなってきた。文化系トークラジオLife の開始は二〇〇六年だそうだから、十八年目だ。長谷川プロデューサーが今年で五〇歳ということは、この番組を立ち上げたのはちょうどいまの僕くらいの年齢のころだったということだ。正確にはさらに一年くらい若いのかな。具合が悪くなるのは、まず年齢の計算が苦手というのがある。この前も、何の話だったか。なぜ毎年開催の某のナンバリングが三十四で、なぜ僕よりも一個上なんだろうと不思議に思っていたら、いや、あなたは〇歳からカウントしているからでしょ……と奥さんに呆れられた。これは年齢に限らず、そもそも数をかぞえるのが不得意ということではなかろうか。

なんとなく自分のなかで基準にあるのは一九九九年だ。それははじめてこの生の終わりをぼんやりと予感していた時期だからでもあるだろう。ノストラダムスの大予言。八歳。数えで九歳。もうすぐ二十一世紀、と七福神が賑やかに画面を横切る家電量販店のCМが記憶に焼き付いているが、これは二〇〇〇年末のテレビ。このころの世界観で止まっているものが多くある。例えばとっさに両親の年齢をイメージするとき、いまだに四〇代で想起されるとか。そのころの五〇歳は、だから両親よりも大人で、当時六〇代だった祖父母よりも若い人たちだ。一九九九年の五〇歳、一九四九年生まれの有名人。萩尾望都、松本隆、ガッツ石松、松崎しげる、市村正親、間寛平、佐藤B作、なるほどね。たしかに五〇歳って感じだ。

八歳や九歳のころの世界観がいつまでもついてまわるというのが万民に適応可能な仮説とは思えないのだけれど、一九七四年生まれにとっての一九九九年とはいつごろなのだろうか。たとえば一九七四年生まれが八歳のころ、一九八二年時点での五〇歳。ウンベルト・エーコ、武良布枝、白土三平、谷啓、大島渚、後藤明生、石原慎太郎、小林信彦、江藤淳。ふーむ。だからなんなんだ?

時代状況によって年齢の感覚も変化しているだろうし、じぶんが五〇になるころのことを考えても、それはいまの五〇と重なる部分は少ないような気がしてきた。ある世代が突入するあたらしい十年は、つねに未踏の領域なのだろう。

だから僕が聞いてみたいのは、いまの五〇にとっての三〇ってどうだった?ということなのかもしれない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。