昼休みに奥さんとケーキを買いに行く。初めて行ったお店だったのだけど子連れで賑わっていて、この盛況は雛祭りだからだろうか、そういうケーキがどんどん売れていった。奥さんが、今年は幼稚園の行事とかもないからぜんぶ家でやるのかもしれないね、と言った。冴えている、と思う。ケーキを持って帰るのはいつも緊張する。この緊張を久しぶりに思い出す。大事に運ぶ。家に帰って紅茶を淹れてさっそくいただく。美味しい。見た目はけっこう馬鹿みたいなのに、頭のいい味がした。これは美味しいねえと二人とも満足。この前箱根から帰ってくる時も、たくさん遊んで満足しても、べつに明日から頑張ろうってならないよね、と話していたが、おいしいケーキを食べたからといって午後から仕事がんばろうとはならないよねえ、と言うと奥さんはきっぱりと応える。
そんなことのためにケーキ食べてるんじゃない。
まったくその通りだと思う。
『都市への権利』を始める。読みづらいったらない。フランス語の思想はフランス語で読まないとわからないんじゃないかと思う。のたくった文体を無理やり日本語に押し込んだような翻訳も、懐かしいノリで、要は文意が取りにくく、新訳にすればよかったのに。久しぶりにフランス語の性格を翻訳の難解さから透かし見るような読書で、内容はほとんど入ってこないが、その分脱線が捗るというか、思考があっちこっちに散逸する感じが気持ちいい。ほどほどで切り上げて『歩きながら問う』も始める。YATO で見つけた、スユ+ノモの本。李珍景を読んでから、スユ+ノモの実践につよい共鳴を覚えていて、アカミミハウスの構想も、『poïétique』もそのラジオも、スユ+ノモみたいなことを自分で始めるなら、みたいな気分が大きくある気がする。
導入の高美淑の文章から格好いい。
(…)書きながら、新たにわかってきた事実がひとつ──過去とは固定されているものではなく、常に新しく構成されるということ。今、ここの生がどのように構成されるのかにしたがって、未来のみならず過去もまた絶えず変化するということ。それゆえ何かを記録するということは、過去の中の未来を、現在の中の過去を、幾重にも重ねて、まったく異なる時間の配置を作り出すことだということを知った。
金友子編訳『歩きながら問う』(インパクト出版会)p.31
これは日記を書くときにも言えることで、日記を書くことでその日一日を新しく再構成する。たかが一日分の過去でも、すでにそれはだいぶ他人事で、変容した未来の予感や、いつかの過去の出来事の残響が潜んでいるようにも感じられる。有り体に言うならば朝のことをすでに覚えていない。日記は多分夜にばかり書かずに昼に書く日や朝に書く日があった方がいい。寝る前に書くと寝る前の体が感受できることしか書かない。
