2024.09.16

いちにち家で労働。久しぶりに週末にまとめて二日の休みを取ったおかげだろうか、それとも昨晩、録音の内外で三時間から四時間くらい、奥さんとお喋りしたからだろうか、忙しい月曜を過ごしてもなおごきげんさは持続しており、天気や季節の変動によってかんたんに上下する気分のマネジメントはままならないものだとは思うのだが、なにかうまくやりようがあるのではないかと思わずにはいられない。思い切って休み、たっぷり喋る。それがまずは大事。そのうえで、本が読めるなら読む。しかし月曜の労働を経ると、本を読むのがかなり難しくなるから、最近の不調の原因の一つに、労働と読書で使う脳の部分の多くが重なっていることにあるような気がする。労働すればするほど、本を読む余力が削られるのだが、本を読むために労働で日銭を稼いでいるので、働けば働くほど本が読む元気がなくなるというのは、生活への意欲それ自体を減退させ、どんどんげっそりしていく。ほどよくサボり、本を読む。それが『会社員の哲学』のころに仮設した戦術であったのだが、今これがうまく機能してない。そのようなことは、先日の青木さんとも話をして、明確になってきた。これまで書いてきたものに、むしろ息苦しさを覚えていて、過去の自分の考えは、いまの自分の助けにならない。それでどうしたもんかなと考えている。『会社員の哲学』は新入社員から新人のころの自分に向けた本だった。となると、中堅以降の『会社員の哲学』が必要なのだろう。つねに僕はいまの僕を助けたくてものを読み書いてきた。なんだかよくわからんがしんどいから助けてくれ、という現状は、あらたな本への動機にもなるだろう。本を書くほどの元気がないというのが気がかりではあるのだけれど、日記も録音も、そしてこれまで作ったどの本も、元気がなかったからこそ元気を出すためにつくったわけで、むしろようやく元気がなくなってきたことを、本を作るという観点からすれば喜んでもいいのかもしれない。しかし冷静に考えて、なにもつくらずに済むほどに充足して元気があれば、それに越したこともないような気もする。本をはじめとした文化を必要としないで、日々を充足して暮らせるというのもひとつの才能で、そのような充足になにか違和感を抱いてしまい、なにか読んだり書いたりしていないと苦しくなってくるというのは、なんともナンセンスで馬鹿げた話である。せっかく確保した清潔な空間を、自分から出る老廃物で満たし、勝手に毒されていくようなものだ。日没が早くなり、風も涼しくなってきた。はっきりと体感できるよりも前に、自律神経に障る季節の変わり目はあり、ようやくほんとうに季節の巡りを信じられるようになった頃には、心身はすでに次のそれに順応している。やはりけっきょくはそれだけの話であるような気もする。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。