2024.11.15

雨だった。天気予報の気温をみて半袖にニットで出たけれど、風が冷たいので失敗だったかもしれない。寒い。羽織りものがあったほうがよかった。あるいは下に着るのは長袖にするべきだった。雨は小降りで、すぐに止みそうだった。

昼から頭が痛み、ランチがまったく楽しみじゃない。労働飯、おなかにやさしくないものしかない。かつてワンコインでお腹いっぱいだと喜べていたものが今では千円する。千円でソーキそばを食べる。お腹がもたれて楽しくない。なんでだ。なんでこんなに楽しくないんだ、と思いつつ、両方のこめかみを指でぐりぐり押すとめちゃ痛い。台風できてるんだっけ。コンビニでコーヒーを買う。こんなにおいしくなかったっけ。何もかも面白くない。何が楽しくて生きているんだろう、という問いは、しかしそもそもあまり抱いたことがない。こうして具合が悪い時も、うすぼんやりと生への肯定はある気がする。意味を切実に求めたこともない。意味があるほうがいいという価値判断がよくわからない。ただ目が覚めて、動いて、日を浴びたり雨風に晒されたりして、疲れて、食べて寝る。それだけでわりとよいという感覚がつねにある。

小説も映画も音楽も絵画も芝居も、まずはなんかいいなーというのがあればよくて、それらに糊塗する意味をでっちあげていくというのはいいなーという肯定的な感覚を足掛かりとして行うナンセンスな遊びとして楽しいものであって、意味がなければいけないとか、意味をもたせなければとはあまり思えない。むしろ意味とかいうどうでもいいものを、言葉を贅沢に蕩尽することで内破してわやにするものとして批評というものを捉えている。言葉を尽くして、ただいいとしか言えないような状態へと戻っていく、無駄遣いの馬鹿らしさが批評の好きなところだ。とはいえ、言葉を使うというのは意味への執着を強める副作用が常にあるものだから、ただへらへら好きとか楽しいとかで深追いしているとあっけなく邪悪になる。意味を求めるあまり、肯定の身振りが否定へと転じるようなことになるのは馬鹿げていると思う。それだけが、馬鹿げたことだと思う。あらゆるものを否定することなく肯定しうるということの愉快さが、子供のころから屁理屈へと自分を駆り立てた。是か非かで分けるのではなく、もともと別々である人らが、あらゆるものごとを腑分けしたうえで共有できそうな部分や組み合わせを探っていくために理屈というものはあり、言葉を運用するならそのようであったほうがいい。ただパキッと分ける、言葉のためだけの言葉は面白くも楽しくもない。言葉はすぐに分けたり、厳密にしたりして、ぬぼーっとした生活の実相を無視して勇ましいことを言い募りたがる。ダサい。そういうのはダサい。言葉を扱っていながらも、割り切れず、あいまいで、読んで元気が出るものがいい。そういうものとして小説があると思っていたけれど、この一年、小説も結構クリアカットな言葉でダサいのが多いんだなとわかった。いや、わからない。評するという構えが、そのように明快に読むことを自分に強いてしまっていたのかもしれない。じっさいは、もっと汲みつくせない複雑さをもっているのかもしれない。僕には、単純な機構のようにしか見えなかった。そのことがかなり悔しい。いつしか、あらゆる文字列を政治か経済の言葉として、つまりは法律や説明書として読んでしまっているのではないか。それは、かなりよくない事態だ。

暮らしは楽しいに越したことはないが、楽しくなくてもまあいい。でも、なるべく楽しい時間を実らせ、持続させたいなとは思う。楽しさは、なかったことにはならないから、あればあるだけこの素朴な生きたさを支える。これまでの楽しさにそそのかされて毎朝起きる。起きるのは嫌いだから、毎日まちがいなく安心というわけでもないが、なにか楽しいことあるかもという楽観は、意外としぶとくずっとある。だいたい何にもないんだけど。ぼんやり歩いてるだけでけっこう楽しい気分にはなる。おめでたいことだ。人というより犬のようだ。犬のほうがはっきりとした階級意識を持っているようにも見えるから、犬のほうがちゃんとしているかもしれない。

退勤後は池袋でライブを見る。奥さんと友達が、チケットが争奪戦になると見越してお互いに二枚で抽選したらどちらも取れてしまって余ってしまった、なかなか譲渡も決まらないとのことでもらったのだった。対バンで、一つ目のバンドはもともと好き。六百円の缶ビール片手に頭振ってたらいい感じに酔っ払って楽しくなった。そのままだいたい頭を振ってた。手振りはなんかどうしても嫌でやりたくない。鳴らしても振り上げてもなんかダサいと思ってしまう。エーステのおかげでこれでもだいぶ苦手意識は減じてきているのだけれど、これはやはり演劇への参加だと思えば納得できるということで、音楽聴く時の体の状態じゃないとどうしても思えてしまう。ライブ後は洋食屋で一杯飲んで帰る。あらゆる連絡を落ち着きなく返していた。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。