思ったよりも早起き。布団を剥がれて火照った体が冷えていく。また温かくなってきていて、朝起きると体が空焚きしたように熱くなっている。昨日のうちに家は片付いていた。朝ごはんは池袋で奥さんが買ってきたわらび餅。二人で一箱たいらげたらちょっと多くてふらふらする。腹ごなしに散歩に出る。お店で猫のためのあれこれを吟味し、公園まで脚を伸ばす。ちらほらと紅葉している木もあり、それぞれの木に名札と解説がついているからふたりで具に確認しては、あれが実かな、この葉っぱはこうだね、と話しながらのろのろ歩く。老後の先取りみたいだ、と奥さんは言ったが、僕はもう毎日でもこうして歩いて過ごしていたい。日差しは眩しいくらいだったけれど、汗ばむでもないちょうどよさでいつまでも歩いていられそうだ。落ち葉を踏むと音が鳴る。歩いて音が鳴ると楽しい。結局お昼はしっかり食べた。手羽トロのネギ塩をご飯で食べてから、炒めた油とすこし残しておいた具をちぢれ麺に絡めて〆。
午後は工藤さん、ぽてとさん、Ryotaさんが家に遊びにきてくれる。工藤さんとRyotaさんは一緒に来て、ひとまず小上がりのこたつでお茶を飲みながらお喋り。ぽてとさんもじきにやってきて、ひと通り家を見てもらう。二階の本棚は、これまでもうほとんど埋まってるじゃんと言われてきたけれど、きょうは、まだまだ入りますね!と言ってもらえたので嬉しかった。トーニョもやいのやいのと話しかけられて手足をばたつかせていた。前の家では床に直置きだった水槽もいまではテーブルの上にあり、目線が合いやすくなった。そもそも人通りが乏しくなったのもあって人が来ると寄ってくるようになっている。面白みの何もない亀だと思っていたけれど、さいきんは反応してくれるからちょっと面白い。時評の愚痴をきいてもらって、でもなんだか随分と気持ちが切り替わってきていて、もうほとんど書き終えているから気楽だというのもあるけれど、単純に家に人が来てくれるのが楽しかった。家で友達と遊ぶ。そういえば久しくそういうことをやっていない。もともと家に人を呼んでわいわいやるのが好きだった。新型コロナウイルス感染拡大以降、そういうのをやらなくなって四年。そのあいだにそんなことすら忘れていた。僕は招かれるより招く方が性に合っているのだった。二〇二〇年に商業に乗る本が出て、それから僕はいろんなところにお呼ばれして嬉しかったし楽しかったけれど、呼ばれていくうちはあくまでゲストであって、ホストではなかった。手土産にいただいた綺麗な瓶詰めのフルーツポンチと、浅草の栗羊羹を小皿に取り分ける。お茶を何杯も淹れて、それらを楽しみながらお喋りする。果物はみずみずしく、栗羊羹の風味がただものではなかった。お三方とも朗らかでお喋りだからとても楽しい場で、こたつの電源はつけていなかったけれどどんどん家の温度が高くなっていった。お茶を淹れるだか羊羹を切り分けているだかしている時、お三方がわっと笑い声をあげるのをきいて、僕は招待された場所で楽しげに過ごすよりも、自分が用意した場で誰かが寛いでいるのを見る方が楽しいんだった、ということをしつこく思い出していた。忘れていたなんて。またこうして集まってお喋りがしたいなと思う。バス停までお見送りをする。その後、録音をして、終える頃にはお腹が空いてくる。
夕食の買い出しのため、四度目の外出。スーパーでししゃもを買う。買いに行っている間に奥さんが献立を組み立てて調理を始めてくれている。茄子の味噌汁、もずく酢、水菜のごまサラダ、ししゃもで夕食。プロレスを見ながらだんだん眠くなってくる。
