昨晩は案の定そわそわして寝付けず、今朝も六時半には目が覚めた。ふだん十時まで平気で寝ているふたりとしては異例のことだった。朝起きると、トイレの位置はここじゃないんじゃないかとか、ケージの組み立て方はもっと別がいいんじゃないかとか、にわかに改善案があれこれ思いつかれ、シャワーや朝食を済ませつつあたふたと準備を進める。けっきょくぎりぎりまで作業して、トイレに入っているあいだにボランティアのお二人につれられて猫がくる。キャリーからあっさり出てくるのはこの前と変わらない。けれども今日は、どこか別れを察知しているような雰囲気がある。譲渡にかかる諸費用をお渡しする。治療の履歴やお気に入りのおもちゃ、これまで使っていたごはんや猫砂を分けていただく。おすすめの動物病院の情報や、これまでのあれこれも教えていただく。一年。保護猫団体のボランティアの家で里親を待った時間だ。それだけ長くいたら情もうつるだろう。きょう来宅いただいたお二人だけでなく、かかわった多くの人たちがこの猫の人懐こさに驚き、その幸福を願い、その場その場であたう限りの優しさを贈ってきた。その来し方を思い、これから僕らがこの猫に与える甘やかしには、過去にこの猫によくしてきた人らの気遣いの残響があるだろうと考える。あまりそれを重荷に感じすぎてもよくない。あっさりと無知であることに居直りつつ、これからの猫の幸福に奉仕すればそれでいいはずだった。
ケージや爪研ぎはなるべくいま使っているものに合わせたつもりだったけれど、すんなりとケージに入り、爪を研ぎ、えびで遊び出すのでその適応力に驚く。今日はビッグサイトで文学フリマだ。Lifeの特番ポッドキャストで司会も務めたし、行くつもりではあったけれど、きょうばかりは猫にかまけたい。とはいえなれない環境であまりじろじろ眺められるのも、べたべた構われるのも酷だろう。遠くからずっと見守っていよう、そう考えていたはずが、噂通りというか、噂を聞いていてもなお予想を遥かに超えて、あっという間に寛ぎだし、ごろごろと喉を鳴らし、構え構えと高い声で鳴いてくるものだから、きょうはほとんど一日、僕か奥さんの膝の上で過ごしていた。眠るとぴくぴく片耳を動かし、寝息はお腹よりももっと温かい。たくさん写真を撮る。
月初に実施しているというスポット剤はぶじ点けられる。すこし嫌がりはするけれどおおむね大人しくしていてくれる。ごはんも全量きれいに平らげるし、水もごくごく飲む。トイレの場所もすぐに覚えた。水のお皿は斜めにせず、高さだけつけたほうがいいのかもしれない。おもちゃで遊ぶとき、人間が作為的に動かすとすぐ白け、自分だけで遊んだほうが独創的で面白みもひとしおのようだった。人間側の鍛錬が足りない。遊びの工夫は奥深い。夕食時など、二人とも視界からいなくなると、しきりに鳴いて呼んでくる。どちらかがいれば安心するのか静かで、だいたい膝の上に乗ってくるし、そうでなくともぴったりと身を寄せている。なんて甘えん坊なのだろうか。これでも猫か。
ここまで初日からべったりだと、かえってこちらは冷静になるようで、ここまでは構ってあげられるけど、ここからは二人の時間だよ、こっちには入ってきちゃだめだよとすんなりと距離感をはかることができる。夕食以降、お風呂のあとのお茶の時間はきちんと二人で確保した。いきなりケトルが壊れる。ついさっきまで使えていたのに。話を戻そう。やはり追われるほうが追うよりもなんとなしに余裕ができるものなのだろうか。猫のほうもこのころには、呼んでも無駄と諦めたのか、けっこう静かにしていてくれる。あとはうんちが出れば安心だ。一応これから半月はトライアル期間なので、それが明けるまでは名前はつけない。あ、また鳴いてる。夜は、はたして落ち着いていられるかな。寝室には入れないつもりなのだけれど、あんまり鳴かれちゃお招きするほかないだろう。
