2024.12.03

日曜に猫が来て、きょうで三日目だ。猫のほうはずいぶんと堂々としているけれど、人間のほうはまだふわふわしている。すでにとてもかわいいのは確かだ。かれの好ましいなと思うところは、奥さんと二人でなかよくソファに座っているとあいだに身を捩じ込んでくるところ。挟まりたいのだろうか。割って入りたいのだろうか。どちらかの膝の上じゃなく、ふたりのあいだに居るというのがいい。われわれ最高の二人組のありようを変質させるであろうひとつの他者としての振る舞いとして、とてもしっくりくるものだと思う。今日は事務所に出る。猫と離れて通勤するのはつらいかもしれないと感じる。コートを脱ぐと部屋着としても着まわしているパーカーが猫臭かった。

東京の文フリが終わると、出版業界と照らし合わせてあれこれ言う人が増える。それを眺めながら、長谷川さんとLife のポッドキャストでしたお喋りでは、本放送のテーマに引っ張られるようにして商業誌への寄稿やラジオ出演に自身の不調の原因を押し付けていたけれど、実際は明確にインボイス制度および東京の文学フリマの大規模化が引き起こした停滞だったよなあと思い至った。

零細な経済活動を煩雑にする制度設計は、活動をはっきり萎縮させるし、プラットフォームの大型化は、そのまま少数の寡占を引き起こす。自主制作本は、僕にとって小さいままやっていくための実践だから、大きな会場でなんとかインプレッションを稼ぐような工夫をするみたいなのは、あまり馴染みたくない。

隅っこを勝手に確保して、大したことないものをきゃっきゃっと作り続ける。そういうのがいい。会場が大きくなってくると隅が「壁」になっちゃうから、小さいものは真ん中に寄せられてしまいかねない。動員の規模に奉仕することに興味はなく、会いたい人に会えればそれでよいのではなかったか。

僕はプロアマの区別にあまり興味はなく、大きいところには大きい組織が参入してくるものだと思う。場所の性格も変わっていくものだから、大規模化はある面では喜ばしいことだ。ただ、僕は明らかに大きな場所では居場所がないので、自分にとって快適な小ささをその都度調達していかなくてはならない。

文フリは東京以外でも開催されているし、自主制作本を手売りするイベントもいろんな場所で催されている。東京の利便性を感受しながら文句を言うのはダサいから、わざわざどこへでも出かけていったり、自分にちょうどいい大きさの祭りを手作りしたりすればいい。

舞台俳優がテレビに出て多くの人気を獲得すると、演劇時代が「下積み」扱いされるの最悪で大嫌いなんだけど、文フリと企業の関係についてのあれこれには似たような違和感をおぼえる。似てるけど別ものなんだから、共存はあたりまえにできるけど、どちらか一方の価値判断だけで何か言うのは下品じゃないか。

内沼さんの出版業界/文フリ界隈をテレビ/Youtubeに準えるアイデアに即して言うならば、僕は小劇場で変なことだけやってたくて、変なままうっかりテレビに出てみたくはあって、でも個人で(インディーのまま)数値に奉仕するような振る舞いを内面化しかねないYouTubeの人気者には絶対なりたくない。

だからテレビやラジオの深夜番組に出るのとか、斜陽の文芸誌にあれこれ書くのとか、小さな版元から楽しい本を出すのとかは、僕にとってはかなりちょうどいい塩梅なのだ。そこはむしろもっとたくさんご依頼いただきたい! そう屈託なく思えてきた。三〇過ぎたら反骨は自身の保守性や権力に向けるべきだと考え、それは今も変わらないけれど、みみっちい自己の権力を、ことさらに大仰なものとして警戒しすぎるのも健康に悪い。大したことないままに、人の場所で遊ぶ余地はまだある。

しかし、上述のような志向を通そうとすると、いま引いたツイートでも指摘されているような「メジャーの消失」のほうが、インディーシーンの肥大化よりも問題なのだ。きょうは久しぶりに他人のツイートが面白い。文フリの前はもはや画面を開くことすら苦痛だったのだけれど、それは僕にとって必要な情報ばかり流れてきて、こういう触発が乏しかったのもあるだろう。次に引く韻踏み夫さんのものも同じように捉えられ、考えが伸びていった。

ルチャ・リブロの青木真兵さんがよくいう「二つの原理」ってダブスタを肯定するためのレトリックなのかもしれない。じっさい、スタンダードは複数あったほうがいい。

僕と奥さんの二者が最高であればいいというスタンダードに、本が楽しく読めればいいという柿内名義でのスタンダードが添えられている状態が長く続いていた。ここにさらに猫が日々を穏やかに暮らせるようにするというのが加わるわけだ。

しかし、よくないな。外で労働してると猫が気にかかりすぎて、それを紛らわすためにSNSへの投稿を多量に散らかしてしまう。節制していたのに。猫、人の姿が見えなくなると鳴き出すような甘ったれで、こんなに警戒心がなくて大丈夫かと思うんだけれど、猫を置いて家を出ると落ち着きなくインターネット各所に文字書き散らかす人間も大差ないではないか。むしろ呼びかけ先がはっきりと間違っている、あるいはまったく明確ではないという点で猫よりだめじゃん。

昼休憩に『スブロサ SUBROSA』を買った。家にCDが再生できる機器がないかもしれないことに気がついた。帰って確認してみるとスマホで聴けるコードが付属しているらしい。そうなのか。もはや物自体には象徴的な意味しかなくなりかけている。しかしせっかくフラゲしても、労働から帰ってきてあれこれしていると、結局サブスク解禁までに聴く時間は取れないな。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。