『スブロサ SUBROSA』、けっきょく昨晩は帰宅してからあまり時間と体力がなかったから、今朝の通勤で聴いた。家から歩き出すと、大通りを朝日に向かって歩いていくことになる。「百万那由多ノ塵SCUM」の歌い出しに不意をつかれるのと、思いがけず明るい日射に目が眩んだのが同時だった。朝に聴いてよかった。
当然、今井寿のバンドという感が強まるのだと思っていたのだけど、想定していた「ぽさ」を飄々と躱す引き出しの多彩さに驚いた。むしろ星野英彦の凄みをこそ思い知った気もする。BUCK-TICKはあるひとりに還元できるものではなく、バンドなのだ。なんだこれ、すごく嬉しいな。「paradeno mori」は、あまりに泣かせにきすぎてると思ったけど、「絶望という名の君へ」の節回しの端々にこそ面影を感じて、ああ、こっちのほうが捧げてる感あるな、となった。そして聴き返してみると、「paradeno mori」も好きなタイプのヒデ曲だ、と思えるようになってくる。なんというか、Yuさんの書くエーステの楽曲っぽさがある。ものすごくわかりやすくこれまでの歩みをぎゅぎゅっと盛り込んでくる感じとか、親切にごきげんな感じが。さすがダンス天国。
――フロントマンとして歌うことになり、心がけたことは何かありますか?
今井 まあ、元気よく歌うことです(笑)。https://lp.p.pia.jp/article/news/407331/index.html?detail=true”
なんか、どうしても感傷的に物語化してしまうところを抜きにしても、素朴にかなり好きな感じのアルバムで、素直にライブが楽しみで嬉しい。元気いっぱいなとこ見たい。
新しいアルバムを聴いて、相変わらず最新作が最高傑作であることが素直に嬉しくて、これまで泣かずに聴ける気がしなくて聴けなかった過去作も、ようやく屈託なく聴ける気がしてきた。ということで、『或いはアナーキー』から聴きかえす。それでまた新譜に戻ってくる。まじでさ、あまりに巨大なパフォーマーの死を、遺産として資源化せず軽やかに過去にしつつ、かといってもちろん忘却するでもなく、歴史として背負って現在を更新していくの、素敵すぎる。
猫は一日に来たから、きょうで四日目。昨晩から自動給餌器と自動トイレを導入してみたのだけれど、どちらにもすんなり適応する。とにかく人影が見えなくなると鳴くので、食事やお風呂のたびに急かされるようで、すこしくたびれる。寝るときはあまり鳴かないでくれるようになったけれど、明け方には鳴き始める。なんだかんだで、まだ四日だ。いくら頓着しない猫とはいえ、新しい環境に慣れるまではまだかかるのだろうと思っているけれど、この感じがずっと続いたらどうしよう。分離不安症という言葉を検索で知る。実家の母とのLINE では、後追い期だね、と返ってきた。育てる生き物によって語彙が異なる。
