けさは四時半に鳴き始めていたようだけれど、僕はぐっすり眠っていた。奥さんの睡眠不足が心配。今朝は僕が早めに起き出して相手をしてからゴミ出し。膝の上で丸くなるのに任せておいて、『山學ノオト5』を読み終える。読んでいて、来週はこの本の話もするかもな、と思い、本を探すのだが、見つからない。本棚にすべての本が収められているはずなのに、あるはずの本が見つからない。本棚に収まっていなかったときは、どの山、どの物陰に何があるか迷わなかったのに。迷った末買わなかったと思っていた本がごろごろ家にあり、即断して買ったはずの本が見つからない。ものはどうやら、収めるべきところに収めると、減るし、増えるようだった。
なんとか見つかる。『ぬかるみ派』のきんに君の論考を読みたくて、これはすぐに読む。それから再読したくなった原洋之助『エリア・エコノミックス アジア経済のトポロジー』をさっと。紙の本はとりあえずざっと全ページを手繰ってみるというのができるからいい。すべての文字を追わないでもいい。読むでもなく全体をぱっと眺めてみる。読書の油通し。電子だと下拵えなしで一気に仕上げるような読みかたになりがち。そのぶんを本文検索などで補えるし、ものによっては速さも出せるけれど、既知の領域の拡張にしかならず、未知のものは消化されずにそのまま通過してしまうイメージ。現代社会の概説書だとか、初学者向けの入門書、新書の類は、そもそも題材に関心を持つ読者に一発勝負で伝えることを旨とした本であることが多いから、電子のほうが向いている気もする。なぜこの本を読みたくなったのかよくわからないようなものは、ちゃんと油通しできるような形で読まないと読めない。再読の場合はまた、軽く流すだけであれこれ思い出せることもある。このように、本を使うようにして読むというのは、最近ようやくできるようになってきた。ついちゃんと読んでしまう。でもそれだと時間も足りないし、じつはこうやって速度をつけて文字を流すだけでもけっこう読める、なんなら無理して一文字ずつ拾うよりも読めてしまうというのが面白いところ。頑張っている感よりも、雑に使ってみちゃうという実利。
きょうは休日なので、とにかく猫にかまけて奥さんは自分の時間を過ごしてもらうつもりだったけれど、ケーキが食べたくなったのと、漢方の補充をしなくてはいけないので、北千住に出る。すでにずいぶん久しぶりな気がする。漢方を買って、立派なハンバーガーを食べて、マルイでトップスのチョコケーキを買って帰る。電車では青木真兵・光嶋祐介・白岩英樹『僕らの「アメリカ論」』。先日読んだ会田弘継『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』を青木さんもこの数日読んでいるようで、来週土曜のおしゃべりはアメリカ思想が一つのトピックになりそうだった。
帰宅して猫と遊ぶ。ソファに一緒に寝そべり『猫を愛でる近代』。本がたくさん読めて、はっぴぃ。うとうとしてちょっと寝る。本を読みながらの居眠りってなんでこんなに気分がいいんだろう。今日から自動猫じゃらしマシンを導入。かなりお気に召す。そのおかげでケーキをお供にしたティータイムは静かに済ませられる。夕食の途中でまた鳴き始め、タイマー機能で休憩が入るから、それ待ちかなと思っていたら、ハードに遊び倒された結果破壊されており、笑ってしまう。納得いかない顔で見上げてくるので、直してやるが、もうほとんど羽が残っていない。すっごく楽しいんだね。よかったね。奥さんがヨガマットに寝転んでいると、背中に乗っかって寛ぎだす。まだ鳴きはするけれど、心配になる程ずっとべったりということはなくなってきていて、のびのび勝手に過ごせる時間も増えてきている気がする。そうであれば、とてもいいことだ。好きにしていてくれ。
