来週のON READING でのおしゃべりに向けて気分をつくっている。青木さんの近作を取り上げつつ、アメリカの話から、近年の政治思想の見取り図の描けなさについて、素直に困惑を吐露してみて、ふたりで考えてみたいなと思っている。そういう意図もあり、きょうは梶原麻衣子『「”右翼”雑誌」の舞台裏』を読んでいた。つぎは文京洙『新・韓国現代史』を読むつもり。アメリカのことも韓国のことも知らないことばかりだけれど、本を読んで考えることはできる。先日の韓国の戒厳令騒ぎで面白かったのは、最後は百九十人が軍の妨害を掻い潜って議会に辿り着けるかという非常にフィジカルな行為が抽象的な制度の執行を担保しているというところで、その場にいるということの力を久しぶりに実感するようだった。最後の文芸時評のB面を書いて、メルマガを配信する。
『猫を愛でる近代』は七章から九章まで。ソファで読んでいると猫がくっついてくる。寝そべっているとお腹か胸、座っていれば膝の上ですぐ寝始める。胸に乗っかられると流石に本が読みづらい。まじまじと見つめ合うとあくびをする。食後間も無くというのもあるだろうけど、あなたのお口、とても臭いのね。この日記を書いている今も、お腹に前脚をかけ、右腕にお尻を落ち着ける形でくつろいでいるから、キーボードの打鍵について右のストロークが極端に制限されており、ふだんからフォームはめちゃくちゃなのだが、左手に仕事が偏る打ち方で書いている。猫がくっついているあいだは、なるべく身動ぎしないことにしたので、スマホも取りに行けないし、読書が捗る。猫が来てから、明け方に鳴いて起こされるので早起きだった。それで寝るのも早まっていたけれど、きょうは気がついたら日付を越している。奥さんがライブから帰ってくる。エーステから三人も卒業するとの報。寂しいけれど、来年の公演が終わる頃にはもうすでに七年も経つことになる。それだけ長い間、同じ作品を演じ続けることの重みを思う。まだなにも実感が湧かないな。