朝からグロッキー。頭が痛い。たまらず奥さんのシャクティマットを借りて、昼寝。シャクティマットというのは健康器具としての針の筵のことで、棘が背中にグロい痕をつける。
『ディスコ探偵水曜日』、けっきょく一日で文庫六百頁いっきにいった。面白かった。かなり面白かった。でもやっぱり好きにはなれないな。「男の子」のヒロイックな陶酔のための都合のいい道具建てとして「女こども」を用いる感じというか、かれらのいう愛とかの宛先として置かれている側のひとらは人間というよりはただ象徴としてだけあって、ただ守られるだけであんまり動かないものとして発想されている感じというか。一方的に可傷性を押し付けられているというか。侵犯されうる不動産のようなものとしてだけあるような。まあそれはそれで、従来のだいたいのフィクションはそういうものということでもある。そもそも時空間を思弁的に可変なものとして扱うようなフィクションは、個別の生を抽象化するものであるから、個人個人が薄くて軽いのはぜんぜん構わないのだ。ただそうした世界観の根幹にけっきょく個人の実存が重ねられてしまうような、セカイ系的な短絡はどうしても気になってしまうというか、個人を規定するシステムとの緊張関係ではなく、システムと同一化する特権的な個人を描いて喩えとしてしまう発想が「男の子」っぽいと感じてしまうのだろう。
ルドンはきょうでエリザベスカラーから解放。塗り薬もいったんなし。おなかをまた舐めすぎなければいいけれど。いつの間にかまた耳のところがはげていて、ちょっと赤くなってしまってる。痛そうだけれど、あまり気にしていないようす。ちょっとした心配事はずっと絶えない。
