2025.02.20

来週には刷り上がる。毎度のことだけど、完成品を見るまでずっと不安でぶるぶる震えてる。毎回、印刷を待っているあいだ体調崩すし、メールの返信や事務作業溜め込むし、物忘れ激しくなるし、食器割りそうになるくせに、ぜったいに最安値の最長納期で注文するの逆にコスパ悪いと思う。心労の内実はひたすら「なんか入稿ミスってたらどうしよう」しかなくて、「売れなかったらどうしよう」とか「面白くなかったらどうしよう」とかは一切ない。そもそも売上取れるならわざわざ自前で作らず企画書をどこかに持ち込むし、おれが世にあって欲しい本をおれが作るんだよの精神でやってるから、すくなくとも一人は大喜びするとわかってる。

そんななか、今日はゲラを二本返し、確定申告の入力をし、印刷した書類を郵便局から送り出す。細々した買い物も済ませ、カーペットが吸い込んだ猫の毛をごっそり取り、換気をし、掃除機をかけた。かなりテンパったが、なんとか終えることができたので偉かった。しかし疲れた。ぐんにょりしながらなんとかすこし本に触ったけれど、ほとんど進まない。穏やかさと、落ち着き、そして元気と余裕。それが読書には必要なのだ。

数年前まで、透明性というのは公文書はとうぜん公開されるべきものとして保管されてなきゃダメだとか、そういう当然のことを言うための語彙だったという肌感覚があるのだけど、そのような当然さはずーっと毀損され続け、いつしかアテンションエコノミー的な窃視の欲望の話へとずれ込んでいってしまっているように思う。公的なものほど密室へと閉じこもり、不可視なものとしてあることへの諦めのムードが強まる。その一方で私的な部屋で起こっていることごとへの覗き見は相変わらず放任され、焚き付けられさえする。ぶっちゃけ従来のジャーナリズムだって、上にいる奴らの後ろ暗い部分をつついて引き摺り下ろしてやろう、みたいな欲望によって駆動していた部分はあっただろうけど、発信側も受信側も反抗すべき「上」としてイメージする先が公人から私人へとあまりに強く傾いている。政治に関わる公人が私人的な野卑によって人気をとり、ただ娯楽を供する私人が公的な倫理を根拠にキャンセルされる、このねじれ。変なの、と思っている。

夜、メサイアの感想から脱線していって、奥さんと二時間以上おしゃべり。白熱して楽しかった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。