2025.02.21

朝の読書はソローキン『ロマン』。これも長いからけっこう保つだろう。ウハー出てきた! ウハー!

日記を公で毎日書き始めて今年で六年目になるが、年々気合い入れて書かなくなってきている。それは如実に量にも質にも表れているだろう。明確にコロナ禍以降、手書きの日記を続ける気力が萎えて、打鍵で書くこちらの日記に統合させた結果、生活の記録の側面に比重を置くようになったという事情もある。要は読む人のことを無視するようになっているのだから、読み物としての性格は薄らぐほかない。

毎日あたまがいいわけではない。日記で思考する筋肉は油断するとあっという間に弛む。そして、そうなるとあれこれ考えるのが億劫になって、日々がぬぼーっと平坦になる。いかにわからないことを発見し、些細なことに躓くことができるか、いちいち面倒なことを考える暇と余裕をつくるか。習慣は、あっという間にこんなもんかという予断の範疇に出来事を収め、言葉として表面化させることなく処理していくことを可能にする。そこにある無言の実行こそ生活知と呼ばれるものではあるのだけれど、これはいざうまくいかなくなったとき修正が面倒だ。その理路をイチから明確化しなければならないからだ。だったら普段からちょっとずつ躓いていたほうがいい。じっさい、日課がうまくいかなくなることは、結構頻繁にある、月に一回くらい、そのくせ無理やり習慣の方へと押し込むことで二、三年はなんとかしてしまえもする、だからこそ、ぬぼーっとしきったころに遂にどうにもならなくなったとき、何から考えればいいかすらわからなくなって、ぴええ、と悲鳴を上げる羽目になる。

ルドンは猫じゃらしを人間の足元まで咥えて持ってくることがある。いっときは二階からわざわざ一階まで運んできさえして、なんて賢いんだろうと惚れ惚れした。エリザベスカラーをつけられて運動がしにくかったからか、ちょっと太った。だからようやく首が軽くなったこの数日は、なるべく運動させてやりたいと思っている。耳の裏のはげは目立たなくなってきたけれど、こんどは顔の辺りの毛が薄いような気がする。猫との暮らしは変わり映えしまくる。毎日うんちや毛や肌や目脂や体重や鳴き声や、なにかしら気掛かりを見つけようと思えば見つけられてしまう。健やかであれ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。