お昼は『ミニマル料理「和」』の心平粥。胃腸の弱った奥さんもおいしくぺろり。きのう『新日ちゃんぴおん!』で石井ちゃんと矢野がちゃんこを作って競う企画を見ていて、屈強な男がじぶんの作った料理を美味しそうに食べてくれる誰かの姿を見てにこにこ嬉しさが隠しきれない様子を見て、いいなあ!と思っていたのだけれど、この数日食べる喜びが減退してめそめそしている人が美味しそうに食べてくれるのを見ていたらこれほど喜ばしいことはないよな、と実感する。だんだん元気になってきているようでうれしい。僕も調子が悪いのだが、おもに気分が落ちていて、しかしこれは花粉症な気がしてきた。頭がぼんやりして、うまくものを考えられず、それで落ち込んでいるような気がする。奥さんは体は悪いが精神は健やからしく、補い合えればいいのだけれどむしろ悪い方面ばかりを際だててしまっていた。これから補い合おうと思えばもうほとんど大丈夫になったようなものだった。
今年も入学試験の問題文として寄稿したものが使われたようで、事後許諾の書類が届いた。問題文を読みながら、僕の書くものって意地悪だよな、と改めてしみじみ感じ入る。好きな意地悪さだ。問題文だけで回答がないのが試されている感じがする。どうせ全問正解できるけどな。署名し、クリックポストと書類を投函ついでにスーパーに買い物に出かける。
夜も『ミニマル料理「和」』を参考にだしをひき、常夜鍋。めちゃうま。
『随風』を読み終えて、さてどうするかな、と思う。とりあえずじぶんの連載の話だけにとどめてなにかしら発信しておこうと、お風呂に入りながらDrafts で文字を書いて、X、マストドン、Bluesky、mixi2、Instagramへと投稿していく。SNSが多すぎる。この全部に変換ミスで「隋風」と書いていて、奥さんにいつの大陸から吹く風だよ、と突っ込まれて判明した。しまったことだった。ほかの細かい部分も清書して、仕上げはReads に投稿する。こう書いた。
早いところだと創刊号が並び始めているエッセイだけを集めた文芸誌『随風』。僕は「随筆時評」を連載します。この試行をひらかれたものにしていくためにも、感想、批判、指摘、訂正、など、あれこれいただければ嬉しいです。
次号でこれを取り上げてほしいという作品があれば、自薦他薦問わず教えてほしい。さらに図々しいことを言いますが、書肆imasu経由で見本誌を送っていただくとか、データを僕にメールでもらえたら、本誌で取り上げきれなかったとしても必ず何かしら反応をお返しします。
なんか、なかば読者投稿欄みたいにしたい。
手書きのノートでも同人誌でもZINEでも量産品でも古本でもなんでもいいよ。ブログでもいいし、プロンプトでもいいよ。いま想像できるのとは違う読み書きの方法を、一緒に考えていけたら楽しい。喋ろ〜
この「いいよ」とか「喋ろ〜」の腹立たしさ。ここである程度、篩にかけられるだろう。この呼びかけの見せかけのフレンドリーさに反して、僕が『随風』に書いたのは、誰でも彼でも安易に自己表現できるという風潮への疑義だし、ぬるい読み書きは容易に動員へと奉仕してしまうということは自覚しようぜ、というようなことで、だから、誰でも書けばいいよとはまったく思わない。いまあるようなものを書きたいなら僕に読ませない方がいい。たぶん色よい反応はできないから。僕は意地悪だから。面白いだけのものは面白くないので冷淡になる。「いま想像できるのとは違う読み書きの方法」への何かがあれば、下手でも意味わかんなくても喜びます。仲良しグループでもナショナリズムでもレイシズムでも、あらゆる共同性へと容易に人を動員するような読み書きの磁場からなるべく遠くへ行くための方法。そうしたものへの志向さえあればなんでも読みたいと思う。
しかし、やはり投稿すると反応の量や具合が気になってしまうな。この数日ほとんど見なかったのに、色々巡回するようになってしまい、よくない。なるべく日記だけに留めたい。
これを書いているあいだ、隣の奥さんに『よつばと!』の新刊を読んでもらっているのだけれど、高尾山の過酷さを知る奥さんはとーちゃんにいたく共感しながら、要所要所でとても楽しそうに笑い、笑うたび肩のふるふるする振動がソファを通じて僕のお尻にまで伝わってくる。
