2025.04.19

前回の行かなかった文フリの後に注文し、すっかり忘れていた『文フリと批評』が一昨日くらいに届いて、電車で読んでいた。すでにこのころの気分がだいぶ古びているようにも感じられる部分も多く、山本浩貴の私的文脈からの懐古からの現状の概観という記述のあり方がもっともクリティカルに感じられた。ぶっちゃけ文フリ自体、ずいぶんとちゃちなマーケットであるということを都合よく忘れたふりをして、なにか大きくて反発すべきシステムであるかのように語るようなものには、僕は白ける。感覚としては伏見瞬のありようがもっとも近い気がするけれど、潔癖さのパフォーマンスをしたい切迫感もまたわかる。来月は自分も出る。たかが販路のひとつという気持ちはありつつ、できれば楽しいといいなとも思っている。

この数日、鉛筆のよさに目覚めていて、三菱の2Bと4Bを買って、お気に入りの鉛筆削りで削って、労働のノートもそれで書いていた。鉛筆が紙とこすれて立てる音の耳への刺激、接地した鉛が線を痕跡として残しながら紙の表面を滑っていく抵抗の感触の指や手のひらへの伝わり具合、そうしたものにはなにかを触発するものがあるようで。

労働日だったけれど、やるべきことは早々に終えられたので早引きして学芸大学に出かけた。来週頭で物件立て壊しのため閉店するSUNNY BOY BOOKS へ。間芝勇輔の個展を見たかった。たしか、はじめてサニーに来た時も間芝さんの個展をやっていて、すぐにその形を気に入って画集を買ったりした。『プルーストを読む生活』は、サニーやON READING に似合う本、というコンセプトで作った本だった。納品のたびに本を買い、いつかのある日、たかはしさんに、性の本が好きなんですか、と訊かれて、サニーに来るとフェミニズム関連の本を自然と手にとっているなと気がついたこともある。つよく押し出されているわけではなく、詩歌や画集、海外文学のながれでするっと感心の圏内に滑り込んでくるような棚なのだ。だから気負いなく、ふつうに他の本と一緒にレジまで行く。そんなことを思い出しながら、読んだことなかったなと『家父長制と資本制』を手に取り、『出産の歴史人類学』も面白そうで、さらにはあ、小笠原鳥類、と思って『吉岡実詩集』も買うことにする。今年の四月始まりの10年メモを見つけて、鉛筆で何かをもっと書きたい、と思っていたのと、なんとなくきょうから始めるのはよさそうだと思われ、これも買う。それから、間芝さんの絵でいちばんよいと思ったものも買わせてもらう。サニーで絵を買ってみたかった。それが間芝さんの絵であるというのもとてもいい感じだった。たかはしさんや間芝さんも在店していたので間柴さんの豚トートを見せびらかして——買った本は大体リュックに入り切らないのでいつもこれに入れている——すこしおしゃべり。つぎは浜比嘉でまた会いましょう。

御徒町まで移動して、学術バーQの一周年記念イベントに顔をだす。一杯だけ、といいつついっぱい飲む。なにかの専門を持つ博士がたくさんいて、それぞれに楽しそうで、いい場所だな、と思う。ぺろんぺろんで、駅で奥さんと待ち合わせていたのに電話が繋がらない。山勘でホームに降りたらそこにいて、ふたりとも酔っ払っていて、楽天の電波はだめで、それでも会えたので嬉しくなってるんるん帰宅。ルドンは玄関のガラス扉の前で待っていて、またおそい、なんかくさい、なんだおまえら、と鳴いた。シャワーを浴びて寝るが、暑くて寝苦しい。もうそんなにか。はやすぎる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。