2025.05.10

去年の引っ越し以来、日記の書き方——いつどこでどれだけのコストをかけてどのような記述を行うのか——がつねにブレている。当日の折々に断片的に書いたものをぞんざいに積んでいくというのが七年前くらいから理想の形式ではあった。けれども、これはすでに五年近くにもなるのでむしろ総体としては大半になってしまっているのだけれど、コロナ禍以降に、公開日記の相互監視装置としての側面が強まった状況への、ある種のひねくれておりあきらかに間違った対応として、夜にまとめて書くことでただの生活ログ然とした書き方をするというのを続けてきた。眠くて寝てしまい、翌日に振り返って書く場合、むしろログ的なものから離れて散文めいてくることがありうる。これは実感との距離と、思い出す面倒くささとによって、コンパクトに構築的なものとしてまとめたくなるのだと思う。生活のログを公開するという見せかけを装い、いわゆるパーソナリティ消費的な磁場へと参入していくというような戦術が陳腐化したいま、あらためて当初の思惑に立ち返り、ある時点での即興を段落単位でただ置いていくような書き方を取り戻していくのもいいかもしれないし、もうそういうのでも面白くなくて、もうすこし別なやり方を試してみてもいいのかもしれない。日記はつねに練習場、稽古場のように使いたい。ストレッチとか体操程度のものでもいいから、とりあえず文字を扱うことで日々の心身を撹乱し、整調し、見失い、発見することが自分にとっては肝腎。

ほとんどの人間は中途半端に賢しらで、中途半端にバカである。中途半端さの配分が個体差と呼ばれる。だからほとんどの人がほとんどの人を尊敬しうるし、侮りうるのだが、このことに気が付かずに侮ってばかりで得意になるいたさを若いうちは持ちがち。いい年になったらやめましょう。

お風呂でSHO の顔真似をしていたらほっぺの表情筋がつりかけた。活性化した表情筋で微笑みが戻った。そのまま笑顔が咲いた。笑顔でいるとごきげんになってくる。元気や可愛げは表情筋が先行する。僕は笑うと可愛い。知ってた。それなのに、だいぶ久しく笑っていなかった気がする。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。