昨日の日記の最終稿を読んで、あなたがこういう日記を書くようになったら振る、と断言される。特にこの「そんな中でも、トマトリゾットを作ったのは小さなハイライト。とても美味しくできて、少しだけハッピーな気分になれました」のとことか、はっ倒したい、なんだこのいけすかないブログ文体は、微妙に翻訳調なのも腹立つ。ああ、猫が鳴き出した。きょうは腰が痛くてまったく構えなかった。構いにいってあげたい、あいててて、え、なに、あなたは結局明日の日記の下書きを書いてるってこと? うぐ、いてててててて。そう言って大きく溜息をつく。どうだ、これが、人力音声入力だ!
『美学入門』、『スロー・ルッキング』につづく注意本として『知覚の宙吊り』。買ったばかりの本をこうも立て続けにすぐさま読むというのは珍しい。一個前の本屋lighthouseでの買い物のほとんどはまだ読んでいないというのに。『労働者』はすぐに読んだか。で、『知覚の宙吊り』が久々にややこしい本で、読みづれ〜と笑えてしまう。気分転換かつ、どうすれば読めるんだっけ、という必要を感じて『ややこしい本を読む技術』を読み始める。本を読むことについての本ってなんでこんな面白いんだろうな。昨日の時点で半分以上すいすい進んで、今朝もちょっと読んでもう終わりそう。『知覚の宙吊り』はこの三日で百頁にようやく差し掛かるところ。本を冊数で考えるのはまじでナンセンスというか、必要な速度というのは千差万別だし、そもそも自らに求める読みの深度や精度の設定値にも個人差があるので、せめて測定するなら投入時間とかのほうがいい気がする。
きょうは夜に稽古もあり、あれこれ荷物が増えてリュックが重い。事務所で労働中、右側の背中から腰にかけて斜めに衝撃が走る。奥さんの腰が壊れているのに同情し、寝ているのがいちばん負担になるらしく、今朝もつらそうで、起き上がるのを補助した。そのときはまだ他人事だったけれど、俄かに共倒れの恐れが発生し、それはほんとうに洒落にならない。週末は泊りがけの遠出の予定がある。そこで、ふたりして腰いわして動けないでいるというのは悲しすぎる。