2025.06.15

水道橋の傾斜のきつい坂の麓で、スーツケースを引きずりながら立ち止まっている人がいて、南出さんだ。朝から微妙に雨が降っていたから傘をさしていたような気もするし、もうずいぶんと小雨になっていたか、やんでいさえしたかもしれなかった。もう覚えていない。並んで坂を上りきり、しかしビルの三階まで階段だ。すでに廊下に棚が出されて並べられていて、岸波さんが朝早くから用意してくれている。丹澤さんも到着していて、撮影の宮尾さんもやってきて、カメラの設置などを行う。声の響き方を確認し、セッティングが終わるまで余裕があったので自販機で水を買いに行き、この日はけっきょく三本買った。本棚を眺め、嬉しくなる。二年前からずいぶん様子が変わったし、それでも変わらず空気が維持されている。『会社員の哲学』の追加納品をして、そのお金で棚から『ドキュメンタリーの修辞学』を買う。

カメラの準備ができて、ゲネ。これから本番が三度あると思うと、すこし省エネになる。それは南出さんに見破られた。一三時からの初回に備え、坂の下のうどん屋で腹ごしらえ。開場時間はビルの下でお客さんを待ち構える。稲垣さんも駆けつける。揃ったら三階まで戻り、定刻になったら始める。会場が本屋というのもあって、緊張とは無縁だった。終演後、稲垣さんが満足そうにしていたからよかった。完パケ後、稲垣さんはみんなにマッサージを施す。丸椅子に座ってほぐされる様子を岸波さんが写真に撮って、ボクシングのセコンドみたいだ、と笑う。次のラウンドは一六時から。一五時には飛行機のために稲垣さんは帰っていって、みんなでビルの下までついて行って、とぼとぼ坂をくだる後ろ姿を見送った。二回目の開場時間にはツイートする余裕ができていた。

夜の回の前に『エッフェル塔試論』も買う。夜の回は奥さんもくるのだけれど、この回に限って開場時間前に奥さん以外のお客さんが揃っていて可笑しかった。ビルの前で待っていると、坂を見上げて、げ、となっている姿が見える。遅刻を気にして駆け上がってくる。中に案内すると、え、階段?とかるく絶望している。まだ開演時間ではないから、すこしでも落ち着けるようたっぷり待機してから始める。本棚を見ている方がいて、演出上いきなり始めるものだから、びっくりさせてしまったかもしれない。さすがに一日に四度やると舌が回らなくなってきて、でも人前で演じるって楽しいのかもな、とすこしだけ思える一日だった。終演後、岸波さんがビールとピザを用意してくれていて、お客さんも交えてピザパーティー。Ryotaさんやはすかさんもいらしていて、おしゃべりし、ずいぶん楽しく、二一時にはおひらき。ビルの下で挨拶して別れる。終わったなあ。春からずっと、週一で稽古していて、それも一旦終わる。たいへんだったな。来週から稽古ないんだ。開放感がすごい。でもすでにすこしさびしい。ぽつぽつ降り出していた雨が、駅前の交差点にたどりつく手前からざっと降り出して、周囲の人々がひゃあひゃあ文句を言いながら傘をさしたり、小走りでどこかへ向かっていく。疲れた。うん、疲れたな。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。