日記に読書のことを書かなくなったと書いたが、そもそも日記を書くペースがまちまちになっており、平気で一日や二日は空ける。そのくせまだやめそうにない。奥さんが読みたいと言ってくれるからというのもあるし、それは今日の奥さんだけでなく、いつか読み返す二人のためでもあるが、うん、まあ、もうそのくらいかもしれない。想定する読み手がほとんど自分らだけに縮減されてくると、なにかしらのオブジェクトをめぐる思惟なんかよりも、身の周りの雑記帳じみていたほうが面白かろうという判断にもなる。あと、寝る前に猫と遊ぶのが日課になると、日記はあとまわしになる。食事を変えて、懸案だった肌の調子は復調のきざし。禿げてしまったお腹は気長に待つほかない。
奥さんとスーパーに買い物に行く。『日々は過ぎれど飯うまし』のオープニングで、みんなでスーパーに買い物に行くシーンがあって、それで思い出すのが、学生の頃、僕はなぜだか無性に友達とスーパーで買い物するのが好きだった。親しい人と生活を模すというのがとても楽しいのだ。たぶん今も好きだ。奥さんとの買い物も、ときたまままごとのようなくすぐったさを感じる。夕食はトンテキ。『日々は過ぎれど飯うまし』は一クールをかけて、ひとりで知らないお店に食べに行き、きちんと注文ができるようになる、というささやかな勇敢さを獲得するまでを描いていて、好ましかった。
楽しみにしていた久保明教『内在的多様性批判』が無類の面白さ。久しぶりにがつがつ読む。
お腹が禿げているのはルドンで、ヒトのお腹は最初からツルツル。寝るまえ布団の上で跳ね遊びしていたら大興奮でたぬきのように尻尾を膨らませて大暴れ。鈴を掴みながらシャーっていった。シャーっていうのを聞くのは初めてだったので二人はシャーっていえるんだねぇ!とやんやと喝采をおくった。