HBOドラマ『ラヴクラフトカントリー』を最終話まで見る。一つの大きな話を、ゆるやかに接続した連作短編として編む一話完結ものであり、長編としてみれば主人公がいるにはいるのだけれど、毎話ごとに主役もジャンルも変わる形式で、すっごく面白いドラマだった。毎回アメリカの黒人史のリファレンスがふんだんに盛り込まれた玩具箱のような語りは、騙りの必然性に支えられており、軽薄でありつつシリアスな歴史の引き受けと書き換えの意志に貫かれている。次元を超えた活動家たちのスピーチが引用されたり、あらゆる娯楽ジャンルの作法が取り込まれたり、とにかく今回はどんななんだろう、とわくわくした。最後はやや駆け足かつ消化不良で、本来はシーズンが続くはずだったのだろうなと惜しくもあるが、じゅうぶん楽しめた。原作の邦訳も出ているみたいなので、ぜひ読みたい。
奥さんにもギリ子さんを読んでもらい、録音ではギリ子さんの話をするつもりが、前置きがずいぶん長くなり、そちらがメインになってしまった気もする。マイクをピンマイクに切り替えてから、多動であっても中断しないで済むのでついつい二時間ほど話し込んでしまうようになっている。あと、これはたぶん今がポッドキャスト番組やリスナーが何度目かの増加傾向にあるという意識から、容易に全貌を把握し得ない、というか把握する気が失せるような仕立てに意識的にしているようなところがある。つきあいきれんわ、と早々に思ってもらうこと。嫌われたり呆れられたりするよりも、好かれるほうがよっぽど怖い。理想化したり、何かを投影したくなる面があったとして、それがただの一面に過ぎないというのをなるべくわかりやすく提示しておく。たくさん制作することで、煙に巻き、網羅の不可能を突きつける。そういうことばかりやっている。一面的にべたっと規格化されるようなことが、どうにも嫌なのだ。
夜はセリフ覚え。いまごろ福岡では、文フリ参加者が大勢ひつじがに集って飲んでいるんだろうな、羨ましい!
