2025.10.31

成田空港に九時に着くように準備をしていて、どうせ緊張して早く起きてしまうともうわかっていた。案の定早めに目が覚めて、というか夜更けに布団に潜り込んできたルドンが明け方にいちど水を飲みに出かけていって、戻ってくるとき挨拶がわりに頭皮を噛んできたので目が冴えた。せっかくならと余裕を持って出たけれど、接続の関係でけっきょく計画通りの電車になる。ルドンは夜は奥さんに寄り添って眠るので羨ましいのだけれど、どうも夜更けにはこちらに移動してくるようにしたらしく、その際に右腕の血流を止めるように乗っかってくるので毎朝感覚がなくて目覚めが悪い。隣の猫は羨ましいが、じっさいに懐にやってくると寝苦しい。きょうから週末にかけてその寝苦しさはない。すでに背中の毛の手触りが懐かしく、リュックについた毛を懐かしく眺めていたら空港だ。丹澤さんは先に第3ターミナルに到着していて、落ち合ってすぐに手荷物を預けたりもろもろ済ませ、保安検査を通るとちょうどいい時間。でも遅れが出ていて定刻から三〇分遅れての搭乗になる。もともとの到着時刻を失念していたからわからないけれど、たぶんじっさいの遅れは二〇分くらいで、どこでどう巻いたのだかわからない。気流の関係でけっこう揺れて、そのたびにアテンダントがこの程度の揺れは全く問題ございません、とアナウンスする。揺れると電車と変わらない乗り心地だな、レールの上を走る電車よりは船の方が近い気がするのだが乗り慣れた電車の感覚が呼び覚まされてくるのは妙だがともかくうとうとしてくる。後ろの方で誰かが吐く。

空港から博多まで十分で着くのに毎回吃驚する。夜行バスで先についている稲垣さんに連絡して、駅ビル地下のまるとく食堂に入る。先に丹澤さんと二人でちょい飲みセットで始めちゃう。ごまぶりとビール。丹澤さんはハイボール。先に宿に荷物を置いてきた稲垣さんは『北の国から』のドカジャンを着込んでおり、さすがに暑いだろう。三人で乾杯して、明太子の天ぷら、ぎょろっけなどを追加してやり、茶漬けで〆た。すでに二十二時くらいの感覚。

きょうの計画を話し合い、丹澤さんが太宰府に行きたいということで平日の今日のうちに観光らしい観光はしておこうと決める。なんか二回くらい乗り換えがありそうだった。博多駅のコインロッカーにスーツケースを預け、七隈線から西鉄に乗り換えて向かう。乗り換えを待つベンチの背景には遊園地の看板。天満宮に隣接しているらしい。道後温泉の近所からやってきた稲垣さんは、空気がおいしい、としきりに言っているが流石に嘘だった。空気の都市っぷりは東京と変わらんやろ。鳩よけの棘を器用に避けて鳩が休んでいるのをみて感心したり、車窓からの景色を味わったり、車内の液晶にはしゃいだり、稲垣さんはどこにいても楽しそうだ。電車は接合部もすべて扉が開け放たれていて、まっすぐな道が多いから先頭の車両から最後部の車両までが見通せる。それにもはしゃぐ。到着した太宰府の駅はなんだか江ノ島みたいだった。梅ヶ枝餅を食べたかったが参道には無数の梅ヶ枝餅がひしめいており、どれがオーセンティックな梅ヶ枝餅で、どれがフェイクなのか、まったく判断がつかない。価格は一五〇円で揃えられており、すべていんちきに見えなくもない。天満宮の有名な牛の前に行列ができていて、知性への憧れはまだ健在なのかもしれない。麒麟の前で記念撮影。他にもあるだろうと思ったけれど、稲垣さんが麒麟が格好いいからと通りがかった観光客に写真を頼んで、日本語話者ではなさそうなその人は親切に写真を撮ってくれた。本殿は改築中で、なんだかチャラい仮殿があり、その背後に組まれた足場から、ばかやろう、なにやってんだよ、と宮大工の怒鳴り声が聞こえる。丹澤さんは御朱印帳を持参していて記帳してもらっていた。稲垣さんは籤を引き、アルバイトの巫女たちは絵馬を間引いている。御朱印帳の記帳ができる神社がもう一個あるらしく、行ってみようかと話す。てきとうに歩き出し、裏手の山をなんとなく登り始める。山中ではドローンみたいな持続音楽が聞こえる。美術館も近所らしく妙なオブジェが野外展示として設置されていたから、この不穏な低音もそうしたものなのだろう。山道を登り切ると枝枝の隙間から遊園地が見下ろせる。遊園地のテーマソングだろうか。だんだん女性ボーカルの歌唱が漏れ聞こえてくる。眼下からのチープでごきげんな音楽が聞き取れるころにはドローンが聞こえなくなっており、あれは繊細にコントロールされた音響だったのかもしれない。

山頂には稲荷神社があって、奥の岩屋に祀られている狐にお参りするには石段を登っていく必要があるのだが、その石段の前にはこうある。オオスズメバチが生息していますので注意してお進みください。怖いな、と思いながら、ずんずん進む二人を追いかけていくと、右手にあるプレハブに張り紙がある。社殿の下の土にマメコバチの巣があります。人を刺すことは無いようですが、気をつけてご参拝ください。いろいろな蜂がいる。岩屋の祭壇、でいいのだろうか。寺社仏閣の語彙が乏しくてわからないがそこに入っていくのはおもしろいのだが、迫力としては狐よりも蜂だ。岩屋の手前には虎ロープが巡らされていて、先ほどまでよりも句読点が省略されていることで切迫が伝わる文言が目に留まる。通行止 オオスズメバチが生息しています危険です入らないでください。DANGER GIANT HORNET

雨上がりで滑る危険な急斜面をおりて、なんとか下まで降りる。目当ての神社はここから徒歩で二〇分弱とのことで、まあいけるだろうと歩き出す。九州情報大学が現れ、情報大学というのはなぜどこも情報から隔絶されていそうな立地にあるのか。タコスキッドという市議会議員の立て看板とあいうえお作文の広報ポスター。アスレチックスポーツ公園はアスレチックに辿り着くためにすごい階段を上らなければいけない。ずっと急な坂道で、歩くうち汗ばむ。背後では低くなった太陽が周囲を黄色と橙に染めていく。ようやく鳥居が見えてきて、コーヒーのテイクアウトがあったのでアイスを注文する。そのままカップ片手に竈門神社に入る。本殿脇の大木が立派だ。境内の木々はいろいろあって、これからは紅葉も見応えがありそうだ。展望デッキから見晴らすとずいぶん高くまできたのだとわかる。石のベンチは見た目に反して座面が回転するので石臼のようでおもしろい。名前が一緒だからという理由で鬼滅のファンが絵馬に自慢のイラストを描いていく場所になっているらしく、絵馬にはあれこれのキャラクターが描かれている。炭治郎だけではなく、むしろそれ以外のキャラクターの絵も多く、であればもはやここはなんの関係もないんじゃないか。

復路はコミュニティバスであっさり太宰府駅まで。歩いたらあんなに苦労したのにあっけない。運転手は疲れが出たのだろう。発車までのあいだハンドルに巻きつけた腕を枕にぐったりしていて、小さなバスが斜面をくだっていく重力を不安に感じないでもなかった。

博多駅まで引き返し、駅から歩いて二〇分ほど、美野島エリアにある宿にチェックインする。Airbnbで取った、マンションの最上階の民泊で畳敷で横長の部屋だ。キーボックスの暗証番号が朝の案内と違っており、すわ締め出しかと不穏な空気が流れた。なんとか開いた。荷解きをして、ひと心地。カハタレの二人は、きょうまでだという公募への申請を進めるため、企画書やら資料の準備を頑張る。僕は眠たくて、枕だけ出して畳の上で仮眠をとる。畳といってもプラスチックのにせもののやつだ。ひんやりしていて気持ちがいい。もうすこしかかりそうなので、日記を書き始める。どうしたって長くなりそうだ。稲垣さんは提出資料として公演の映像を送りたいのだけれど、まだ届いていなくてやきもきしていた。どちらにせよ今晩〇時前には出さなければなので、諦めて提出を済ませるが、映像見たかったな、映像こなかったな、としきりに呟いている。

宿のすぐ近くのおおいしというもつ鍋屋さんに行く。お酒も頼んで、鍋を突きながら演劇論みたいなものを語り合う。こんなの何年ぶりだろうな。脚本や演技の話を屈託なくしながら締めの雑炊まで平らげるとかなりの満腹。いいお店だった。同窓会のような雰囲気の卓から、鍋の周りを上手なダンスで回り続ける子連れまで、みんなが楽しそうに食事していた。

タクシーでブックバーひつじがに向かったのが二十二時くらい。シモダさんに挨拶して、打ち合わせしながら楽しく飲む。クラフトサケから焼酎、ミードへ。シモダさんによると明日は十人の予約があるらしい。そんなに! にわかに緊張してくる。日曜は二人しかいないらしい。逆ならよかったのに。どうせ誰も来ないだろうから気軽にやれるという思いがどこかになかったわけがない。そんなに客入りがよいとはきいていない。途中で隣の席にきた客はすでにだいぶ酔っ払っていて、問わず語りに話し始める。あすね、わたしここで演劇を見るんですよ、わたしもね、もうずいぶん昔のことですけれど、やってたんです、演劇、それに、このお店には、できてすぐの頃は自宅兼職場が近かったもので、よく寄らせてもらってたんです、ええ、だからここに来るのも六年ぶりとか、そのくらいになるのかな、明日の演劇が、とっても楽しみ。それ、僕たちなんですよ、とお伝えすると、あらまあ!と嬉しがり、しきりに、楽しみだなあ、うん、とっても楽しみ、と繰り返すので、プレッシャーの高まりにどんどん僕の顔が険しくなる。それをシモダさんが可笑しそうに眺めていた。その人が自作したという詩の朗読をせがまれ、稲垣さんが読み上げる。

日付が変わる頃にタクシーで帰る。MrMax で朝食や水を買い、せっかくなので地場の菓子パンを買い込む。コーヒーも買っておく。眠たくて仕方がないのでシャワーは明日に回して眠る。それでももう二時とかだ。丹澤さんが遅くまでドライヤーなど使っている気配を感じながら、断続的に眠りに落ちていく。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。