2025.11.27

今週のルドンは僕にべったり。今朝も目が覚めたらぬいぐるみのように腕の中にすっぽりはまっていて、すこしだけ抱き寄せて後頭部のにおいを嗅ぐ。

諸々のイベントの告知のために頑張るかという気分がやってきて、Twitter跡地をまたひらくといぬのせなか座の山本さんの投稿が目に留まり、だよね、と思い、本を買った。長くなるし、まだ手元にない本を引くのは気が咎めるけれど、日記に引くのとリツイートと何が違うのかと思い、ひらきなおって引いちゃう。

権威が衰退することで、価値判断のよすがが完全に個人の生活実感のみに切り詰められていくのがここ十年ほどだったとして、それは自前の価値基準をDIYするぞという意思の顕在化ともいえるのだけれど、意思はすぐさまニーズに読み替えられ、DIYの技術や素材は情報商材になる。

たとえば、小倉ヒラクからスピリチュアル、香山哲から参政党、というような、ほんらい真っ当さと慎重さを兼ね備えた書き手の制作を、読者の側の生活実感で恣意的に援用していくことで行きついちゃう先があるというのを目撃し続けた十年という感がある。これは小倉や香山から直結するわけでは決してない。というかそういう回路をかなり慎重に回避していると思う。それでも、かれらのそれそのものはまっとうであったはずの作品に触発されることで発見された読者の欲望(自前の価値基準をDIYするぞ)が、その次の本、その次の勉強、と展開していくうちに、いつしか別のより露骨な動員(スピリチュアルや参政党)へと引き寄せられてしまうことがすごくよくある。がっかりするよね。「この私にぴったりで安心な商品を選ぶようにしてライフスタイルを選択していった先にあったのは、やっぱり国産(ナショナル)で、クール(冷笑)で、パーソナル(排外)なものでした」。けったくそわるい。

しかし結局こうしてツイッターを見てなんか書くと多弁さが引き出されるので、なにかものを考えたい時にはずいぶん好適な場所では以前あるのだなと思うとかなりムカつく。ちゃんとこのどうでもいい饒舌を誘引するなにがしかを別の場所から手間暇かけて調達したいものだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。