山本浩貴さんがこの日記でトークについて書いていることに言及しつつ、「ブログと発話したの完全に無意識だったけど、たしかに自分はネットで公開される日記をブログと呼びたくなる感覚が一定以上強いかもしれない1」と書いていて、この感覚、面白いな。僕は日記とブログとの距離のほうが、日記とエッセイから小説までの幅を持った文章表現との距離よりもずっと遠く感じていることに気がついた。ブログの方が語源的には日誌なわけで近そうなものなのに。たぶん自分の感覚としては、ブログは「記事(事実のレポート)」であり、日々の制作とは別のもの、より流通や伝達を主な目的とした労働だと捉えているのだろう。ちなみに、この個人的な分類感覚に基づいていえば、批評みたいな散文については、僕は明らかに日記の側に位置づけていて、でも(主に非読者たちによって構成される)大多数からはブログの側としてイメージされがちなのかもなと考えている。事実と個人の感覚と、どちらを表現として重視するかという重心の違い?
事実こうであるというのよりも、こういうふうに見えている人がいる、ということのほうがずっと面白いという癖が自分にはあり、というか批評なんてものはものの見方の鋭さや突飛さや格好よさを誇示し、憧れるためのものだろう。僕が誰かの日記を読んでブログみたいだなと思うとき、それはわりあい悪口の雰囲気がある。つまり、見ているものも見方もどちらも使えそうなだけで、わぁいいなあ!というようなときめきに乏しい。
パンツがお尻の割れ目に食い込むのをきらって新調したのだが、これもまた食い込むのでショックを受けている。パンツが古びたのではなく、僕のお尻やお腹周りが大きくなっていて、快適なサイズが変わったのかもしれない。
きょうは2000年代を振り返る会の約束があり、あれこれ思い出そうとしていたら中学生の頃の日記が見つかった。シーサーブログで書いてたやつ。いろいろ恥ずかしくはあるが、あまりに変わっていなくてぞっとしない。
2006.10.19(引用者註:15歳)
腹痛に耐え忍んでいるとき、「寒い」と感じる。
体が冷えると腹の底から理不尽な痛みがやってくる。
あれ、今回はどっちが先で何がどうなってんだろう。
時間が経つにつれ、余計に分からなくなってくる。
しかし分かったからといって解決する問題ではない。
じゃあ何故にそんなことを考えるのかというと、それはもちろん「痛いなぁ」以外のことを考えていたいからなのだ。
この様に何かの問題を直視しないようにとる行動というものは、その問題と何等かの接点を持つモノであることが多い。
例えばなんだか妙なCMソングが耳から離れず、それをついつい口ずさんでしまう、なんて情けない事態を恐れるあまり、数年前のヒットソングで誤魔化してやろう、みたいな。
書いていると中々に可笑しい解決法である。
もし、今度は懐かしソングのサビだけが脳内で繰り返し再生される、なんて事態に陥るのでは、と心配に思う。
勉強中にちょっとした埃が気になって、大規模な掃除を始めてしまう、というものもある。
ということは、一昔前に流行って、今も根強い人気を保つ塵屋敷の住民の方々には問題集をプレゼントする、というのはどうだろうか。
話が逸れてはいないだろうか。
このころから脱線と連想ばかりしている。しかしいまだったらゴミ屋敷のことを〈一昔前に流行って、今も根強い人気を保つ〉なんて嫌な書き方はしないだろう。こういうところに幼稚さが出ている。次の日記も、〈オバチャン〉という表記に侮りが滲み出ていて最低。
2006.10.24
とても不服ではありますが、どうやら世間から見ると自分は中学生であるらしいですから、それらしく『お勉強』の話でも書いてみましょう。
今回は、学力低下云々の前に、今現在公立中学に巣くっている教師共を全員幼稚園にでも送ってしまえ、ですとか、そういう話は抜きにします。
教師が馬鹿だからといって勉強まで馬鹿馬鹿しいと決めつけてしまっては、それは馬鹿を見ているのはこちらではないのではないか、先生お気に入りの良い子ちゃんだと思われるのは心外ですので、出来るだけ控えめに主張しておきます。
例えるならば、クラスに救いようがないくらいに、大嫌いな奴がいるとしましょう。
ある日、そいつが数少ない友人と、貴方の好きなアーティストの最新アルバムについて熱く語っている姿を見てしまったとします。
そこで貴方は「けっ、あの野郎と被るくらいなら死んだ方がマシさ」と、そのヒトのCDを聴くのを止めてしまいますか。
品のないオバチャンがバカスカとブランド品を買い漁っているからといって、そのブランド品が下品であると決めつけるのは、どうなんでしょうか。
勿体なくないですか。これでは馬鹿な餓鬼や、下品なオバチャン達の完全勝利です。
勿体ないなんて貧乏くさいことよりも、何だか腹が立ってきませんか。
確かに上記の二つと比べると勉強は辛気くさいかもしれませんが「勉強しない」は最も情けない教師への敗北宣言です。あんなのに勉強が何たるかなんて分かるわけがありません。
周りの賢そうな年輩の方々は皆口を揃えて「あの時勉強していればなぁ」なんて言います。
教師なんかに人生の一部分を台無しにされた、そんなの全然楽しくありません。
というより、馬鹿です。
良いモノは周りがどれだけ汚れていても良いんですからそれを汚している奴らのことは「お前等には分かるめぇよ」と軽くあしらっておきましょう。
書きぶりはダサいが、スタンスはまじでいまとほとんど変わらないようにも見える。こいつは俺か? そうそう、このころの一人称は俺で、かわいい。文体は露骨に太宰治と「今日のダーリン」にかぶれている。かわいい。そうか、たしかに、いまにまで続くような毎日書くという方法からして、「ほぼ日」の猿真似だった。
- https://x.com/hiroki_yamamoto/status/1995327420644159914?s=20 ↩︎
