2026.01.05

在宅労働日。あさから猫トイレの掃除や洗濯やスーパーへの買い出しなどの家事を手分けして完遂。捨ててはいけないものを捨てて、やるべきことをやり忘れ、いろいろこぼした。今日の僕は、いうならば行動力のあるぼんやり屋さん、そう申告すると、嫌すぎる、じっとしていてほしい、と顔を顰められた。行動力があるので動き続けた。二階の暖房の効きがこの数日よくなかったのだけれど、午前中にお風呂に入ってドライヤーしていたらブレーカーが落ちて、それ以降はちゃんと暖かくなった。けれども今度は目が乾いて仕方がないし、換気が足りず眠たくなってしまう。『時の家』を読んでいて、記憶の分有について考えていた。僕はほとんどのことを忘れてしまうけれど、奥さんはよく覚えていると単純には割り切れず、お互いなぜそれを覚えているのかと思うようなことを覚えていて、どうしたらそれを忘れられるのかということを忘れる。お互いに、代わりに覚えているともいえるかもしれない。スナップショットのように書き残されるこの日記はあるが、そこには奥さんの考えは残らない。奥さんの見たものはその場で話され、それを聞く僕は妙にそれを忘れずにいて、いつかまた同じ話が繰り返される時、あるいはもう奥さんが忘れてしまった後も、そのことを覚えているような気がする。二人の時間は二人分の記憶があるというのではなく、どちらかが覚えていたり、どちらも忘れていたりする。僕はとにかく友人たちとの思い出も忘れてしまうけれど、この人と確かに分かちもった記憶があるということだけはわかって、だから親しげな気持ちはむしろ日に日に増幅していく。もちろんいい記憶だけではなくて、僕が忘れてはいけない無礼や不義理も僕は忘れてしまって、相手がそれを覚えている場合、僕はかなり問題がある人物である不安も常にある。誰かが覚えていればそれでいいとどこかで本気で思っていて、人の話したことは覚えていても自分は忘れて同じ話を新鮮に繰り返す。一緒に同じ記憶を覚えているかどうかはどうでもよく、一つの記憶を分有している、しようとしたという手応えだけで満足してしまうから、忘れている方が当然とも考えているし、忘れていることを思い出させてもらう時、それがいいことであろうと悪いことであろうと、どうしたって驚嘆するし、記憶というものはひとりの占有物ではないし、解釈にひらかれているというのでもない、丸ごとを丸ごとのまま分担できるような奇妙さがあると感じられる。とにかく眠たく、それでも昼寝はせず、比較的まじめに労働をこなし、夕食はぶり大根を作った。大田区総合体育館の大会を見て、Yuto-Ice、いいわあ、とにこにこする。マイクで至や万里みたいなこと言ってた。奥さんはそのままDDTも見始めて、クリスが新しいユニットを立ち上げたらしい。僕はもう集中力がなくて、歓声を聞き流しながら隣で日記を書いている。ルドンはどうしても膝に乗りたがり、右腕に巻き付くようにして前脚を絡め、タイピングのたびに体が上下するのにも構わずぴったりくっつきつづけている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。